家族や結婚という制度

家族や結婚という制度

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エッセイ キューバ



去年キューバに来て、家族の形に違和感を覚えて今もその違和感の整理と理解に時間を費やしているんだけど。

ま、ひょんな縁から、去年からある一つの家族を見つめてる。ロホ家。引きこもり形の私も週に一度はバスに乗って1時間かけてその家にお邪魔するか20歳の娘と私の家で会うの。

キューバの家族って、血縁の両親と一緒に暮らしている居る人は少ないらしく、結構腹違いの兄弟とかが当たり前に家族となっている。週末は父親の家に行ったりするらしい。それが当たり前のよう。

先日ある人と話してて、ひとクラス37人(多分高校生くらいだと思う)のうち血縁の両親と暮らしているのは3人だけだったと。だからマジョリティは血縁の両親と暮らしてない人たちで、血縁の両親と血縁の兄弟とで構成されている家庭がマイノリティなのかもしれない。

この前、学校で、「嫁」「婿」という単語が出てきて、丁度先生が結婚を控えていて、ふと疑問を投げかけた。

キューバは結婚をしても名前(姓)が変わらないのね。

基本的に「名前・父方の姓・母方の姓」

例えば、明美さんと言う人がいて、お父さんが山本で、お母さんが鈴木だったら。
Akemi Yamamoto Suzuki となるの。
で、結婚しても変わらない。

お父さんが浮気ともしくは離婚後、明美さんに弟が出来たら。仮にその子を彰とします。浮気相手もしくは再婚相手が佐藤さんとしましょう。
Akira Yamamoto Sato となる。

彰君が、大人になって福田さんとの間に武史君と言う子供を持ったら、
Takeshi Yamamoto Fukudaとなる。

明美さんが、松田さんとの間に洋子ちゃんという子供を持ったら
Yoko Matsuda Yamamotoとなる。

これはスペインの植民地支配のなごりか、ネットで調べるとスペインもそうだとか。だから他のスペインの元植民地の国はそうなのかも。どうだろ。

で、私が疑問に思ったのは、どっちの家に入るの?という事。
どうも、どちらかの家に入る、という感じじゃないみたいなのよ。

そこから、二人の生活が始まる。とはいえ、両方の親は親であり家族。

日本の結婚制度って、どちらかの家に入るというもの。
私は理解が上手くできなくて混乱してしまった。
だって、自分の当たり前、常識が違うんだもの。

で、ロホ家には3人の兄弟がいる。
長男(49歳NY在住)・長女(46歳かなマイアミ在住)・次女(20歳キューバで父親と暮らす)

で、去年、マイアミの長女とあった時に、いろいろ話したときに、「彼女は私たちの家族は愛で出来てるの」と。

私は彼女に「私の家族は責任で出来ていたと思うわ」と。

ず~~~~っと、このことに引っかかっていたの。

先日読んだ、ある対談本に、
「責任感が発生した瞬間にこれは家族として成立しているわけですよね」(評価と贈与の経済学)

その言葉が私にはしっくり来た。
日本人にとって、もしくは私にとって、家族ってやっぱり責任なんじゃないかと。

そうやって考えると、いくつかの疑問が解け始めたの。

例えば、私に何かあれば、私の父に連絡が行くのだと思う。いろんな事情で絶縁状態でも。
ふと、私の人生を振り返る。

私の父は自分勝手な所もあったが、「家族を養う」という責任感は強く持っていた。それは本当に強かった。私は養われていたし、ピアノを教えていたが、それでは家族を養えないと解り、私が生まれた年に商売を始めた。今でいうナチュラルフードの先駆けで、「健康食品センター」ってお店の名前だったわ。商売が上手く行かなくなった時、父は大型免許を取り、長距離トラックに乗る事も考えてた。

父は、ピアノよりも家族への「責任」を選んだの。商売をたたんだ後は家でいつもピアノを弾いていた。

私は、理解しにくい娘だったと思う。それをコントロールしようと父は父親の威厳で私を抑えようとした。でも何があっても、最後の最後には、「父親として」セイフティネットになってくれた。今振り返ると、父は「父親の責任」を全うしようと頑張ってくれた人だと思う。本当は人間として弱い部分も持っていたであろう父。いろんな葛藤や苛立ちがあったと思う。

それでも結局、数年前私の家族の形は崩壊してしまった。
私たち兄弟姉妹の関係を見て、「俺の育て方が間違ったのか」と、力なく言った父。
私は、父親としての「責任」を全うしようと自分の中で闘い続けた父に感謝しているし、尊敬している。

私にとっての家族、「親」は、「責任」が基盤にあるのだと思う。
その責任をしっかり守ろうとする父を中心とする家族の中で、ある種の安心や信頼は持って生きてこれたのだと思う。

父がきちんとしていたから、私は父が元気なうちは家を借りる時も、何をするときも社会的に困らなかった。

この歳になって、当たり前にあった安心や保証に気づく。親としての責任を果たそうと頑張ってくれた人だと心底思う。

で、ロホ家では、マイアミの姉が休む間もなく3つの仕事を掛け持ち、必要な送金をしている。それが愛なのか何なのかはわからないけど、結局彼女はある意味家族の責任を担っている。兄は糞なので送金も連絡もないらしい。でも、そもそも、ロホパパに責任感があったのか。パパを見ていると怪しい。

で、結婚について考えてみたの。

愛とか、好きとか、そういう事よりも大事なのが「責任」なんじゃないかと。その人の責任を持つ、という事が結婚の中で大事な意味があるんじゃないかと。そんな当たり前かもな事に改めて気づく。

何かがあった時に、最終的に責任の所在は家族に求められるもしくは連絡が行く。家族というのは連帯保証人と言うか。で、その連帯保証人がいないという事は、社会的にその人一人を信頼するしかない。でも、それではリスクが大きい。そういう「家族」というシステムがあって何とかうまく機能させている面も日本にはあるんじゃないかとか。

ちょっと前の人は、結婚は社会的信用につながるとか言ったけど、もしかしたらそれは一理あるのかもしれないとか。

でも、この国はまたちょびっと違って、国がある程度の責任を担っているというか。そこで、家族の持つ責任の範囲がちょびっと違うのかもとか。それとも、長い植民地支配や革命後の短い歴史の中で、そこまでまだ意識が行っていないのか、文化の違いか、本気で解らないんです。でも、家族の間で私の思う所の責任を全うしない事が普通な社会で責任感を求めていいのか。ほんと、解らないんです。

そういえば、去年アメリカに住む友人の友人のご主人が殺されたの。犯人はちょっと頭がおかしいんだと思うけど、突然警備員の彼に発砲したらしい。アメリカではニュースにもなったの。日本人の感覚だと、その犯人は高齢だったらしいから、その息子とか娘とかが謝罪したり何かすると思うけど、全くないらしい。親がやった事は彼らに関係ないらしい。法律的にもそういう義務も何もないらしい。常識が違うのか、社会システムが違うのか。個人主義の国だからと言えばそれまでだが。

自由勝手な私がいうのもなんだけど、個人主義のリスクや怖さも考えてみたりした。アメリカのやり方と日本は全く違う。歴史や宗教はもちろん、だからか考え方も価値観も違うと今は本当に思う。もしかしたら、日本では自分の為じゃなく、社会の為というか、責任を持つ連帯保証人を持つために結婚をすることも大切だった気がする。結婚制度は社会にとって必要な制度なのかもしれない。

家族によってのメンタルがどうとか、感情がどうとか、そういう以前に社会というシステムの中で生きているという事に改めて気づく。

愛が先か責任が先か・・・。
昔の日本人は責任が先だったのかもとか。
いや、愛と責任は被るものかもか。
わかんない。


国家があって、そこに社会というシステムがある。
4月に日本大使館に在留届を出しに行ったの。

クラスメイトの28歳の女子に、在留届を出したか聞くと出してないというから、出した方がいいよと。でも、ぴんと来てなかったから、

「例えば有事があったり天災があったり何かが起きた時日本政府は日本人の安全を守る事が仕事なの。その時に、私たちがちゃんと在留届を出しておくと彼らは仕事がしやすいでしょ。私たちに何かあると日本大使館(日本政府)がある面の責任を持つの。私たちに何かがあったら、死んだりしたら、多分日本大使館に連絡が行って、どうするかという事になるんだと思う。だから、ちゃんと出してた方が、日本大使館にとっても私たちにとってもいいんだよ」

その後、彼女は在留届を出しに行ったら、3か月以上の滞在は在留届を出すことが義務付けられていたと。とはいえ、私も20代の頃は在留届の意味が解ってなかった。

で、「国家」と言うけど、国家は大きな意味での家族で、結局私たちは自由なようで日本政府の責任の下である意味守られて生きている。

国民健康保険も、インフラも、安全な水も、国の安全も、当たり前の様で、当たり前のことではなく、そんなものが無い国はいっぱいある。税金取ってると言えばそれまでだが、税金をどう使うかも国によって違う。

キューバに居ながら、私の実家は日本だと痛感する。

キューバでの家族の形や社会システムを見ていると、私たちとは違うから、その違和感から自分の家族や日本の家族や国のシステムを顧みる。

まだまだ、私の疑問や混乱は色々と続くのでしょう。




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