今、別れた彼との事でこれからやって行く作業の準備で時系列とかを調べる意味もあって、この数か月の間に親友たちに送ったメールを読み返しているの。

興味深い事に、その時点で多くの事を私は感じ取っているの。ただ彼の人生はあまりにも複雑すぎて私の経験からは想像が出来ない事も多く、そういった事は上手く分析が出来てない。だから仮定という感じ。

とはいえ、その頃に私が感じ取っている事と理解している事は、その時点での私の人生経験から私に考えられる事でしかないのね。そしてその多くは「感じ取る」事で結構な事に気が付いてるの。

じゃあ、気づいた時に別れておけばよかったかというと、私は「なんで?」が病気の様にあるので、知りたいし、分析したくなるの。

見えない何かを感じる感覚は第6感かのかな。

見えないから確認しない限りそれが合っているのか間違っているのかなんて解らない。見えない事だから、確認も難しい事も多い。

何を信じるか、そこは自分が感じた感覚と、自分のエゴや自我、顕在意識とのせめぎ合い。

最近、私は実は30年以上そんな事をしているという事を自白しましたが、元々そういう感覚を持っていた人では全くありません。ただ何十年もそういう事に意識を向けているとそういうチャンネルが研ぎ澄まされていくのだと思うの。

聴音などで、始めは単音の音階を認識できるようになるでしょ。ドミソとかのインターバルとか。それが出来るようになると二つの音を拾えるようになる。その後、和音なども。得手不得手もあるけど、それはある程度トレーニングだと思うの。ちなみに私はかなり不得で手大変だったんだけど、いつの間にか適当に和音(コード)を聴いて音をとれるようには多少はなった。

そんな感じで、そのチャンネルや感覚を意識する事で身に付いていくんだと思うの。

で、その時に、やっぱり難しいのが、自分が感じたことと、「自分」というフィルターが通ってしまう事。自我や顕在意識が邪魔をするし、読み違いを起こす。昔は結構読み違いもあったし、勘違いもあった。それは何がそうさせるかって、「自我」。

そこを父にかなり厳しく言われて来たの。
もちろん父にも私に対して父親としての権威や自我があり、また世代が違う私は新しい物、父の知らない世界や経験したり持ってきたりする。例えば、私は海外暮らしとかもあるでしょ、そうすると父の経験では理解できない事柄も色々とあるのね。そういう事ではよく対立をした。

自我なのか、クリアな直感や感覚なのか。

その見極めがとても難しいの。
また思い込みや、妄想もあるでしょ。

私の場合は、自分の「感覚」をニュートラルにしてジャッジをしないすーっとした状態に持って行くの。その上で、自分のエゴや自我じゃないか、妄想じゃないか、思い込みじゃないか、そういう事を今度はジャッジをするの。

もちろんそれでも、読み違いは起こる。

そういう感覚を持てる様になるのに、20年以上はかかったと思う。

よく、「Seinaさんみたいに読める人になりたいです」と言われる。

言えることは、私は元々そういう事が出来る人ではなかったけど、何十年もそういう事に意識を向けて生きてきたらいつの間にかそうなった。5年とか10年で身に付いた訳ではないし。ましてや私は修行とかしないしね。

昨今よく解らないスピ系のヒーラーさんとか、誰かを癒したいセラピストさんも多くいると思うけど、形や技術や「癒したい」、というのを越えた所にそういう感覚を身に付ける段階がある気がするの。

それと、やっぱり、自分とどこまで向き合うか。
自分をどこまで感じ取れるか。
自分をどの深さまで感じ取れるか。
自分をどこまで分析できるか。

それが基本中の基本だと思うの。