音楽の方の準備が忙しくてなかなかコンサルの募集をかけられなくてごめんなさい。
3月4月とコンサルとしてちょっとした壁を感じていました。

その人がどう感じて、自分で何を選択するか。

私はそこに焦点を当てながらその人らしさや本質を見つけて進めて行く。だけど、それがいい事なのかどうなのか、ちょっと疑問に感じて来ていました。

ワクワクとか華やかな人生を応援的に、
こうしたらいいよ。
あなたはこうよ。
等などをもっと簡単に私が答えを出してワクワクさせたり、そう思わせればその人も楽なのかもと。でもそれだと表面的だったり、他人や大衆の尺度が影響している事も多く、自分を軸に物事を考え自分で選択して生きて行く事に繋がりにくい。

「自分を軸に自分で考えて自分で選択する事」を勧めても、それって、結構難しい事でちょっとなのかな、とか、思ったりもした。

この近年感じているのが
8割位の人は自分で感じ、自分で考え、自分で選択するのではなく

影響力のある人や媒体(テレビや新聞、雑誌などのメディア)から自分の選択を決めているというか流している気がするの。

そういう私も昔はそうだったと思う。
色んな雑誌を読んで流行を追った20歳前後。
色んな人の意見に流された30数歳まで。
その仕組みが解らなかった。

21歳の頃、アメリカ人と付き合ってて彼が
「君はどうしたいの?Up to you(君次第だよ)」
と言われると、本当に本当に困ってた。

私自身が、誰かに決めてもらわないと、色んなことを決められなかった。決めるというより流してもらう。自分がどう感じて、何がしたいかなんてあまり無かったのかもしれない。もしあったとしても、私がそれまでに生きてきた環境の中では「わがまま」「自分勝手」と言われてきた。「尊重」される事は殆どなかったと思う。そういう環境で生きていたら自分がどう感じるとか、どうしたいとか、感じないようになって、周りが自分を迷惑と思わず流れて行く事がいい事だとも思ってた。

私は20歳でもう一度生まれたと思ってる。アメリカ(ニューヨーク)で暮らすようになって今までの環境や抑えて来ていた「自分」が息をしないといけなくなった。始めの3年はすごくきつかった。そこから自分を軸に考えて生きる事を実践できるようになるまでその20年と同じ位の時間がかかったように思う。

私の根っこには今も時々昔の環境から出来あがった自分を信じきれないちょっとした弱さが見える。

日本のこの社会の中で
地域の中で、
それぞれのコミュニティの中で、

私の様な生き方はまだ少数かもしれない。だから生きにくい場面はいっぱいある。
人がどれだけ私を否定し、理解せず、阻害したとしても、私は、私が、私である事を尊重したい。
そして、私は、私が、出来るだけ「私」で生きて行ける事がとても幸せだと思っています。

時々よくある。
「人が言っていた事」で色んな判断をしている人たち。
「それ人が言ってだけでしょ?あなたはその人と話したの?その人を知ってるの?」
私はそういい返す。

先日たまたま見たある営業術。

A:5%の人は自分でさっと選択して必要なものを買う。
B:15%の人は否定的でほぼ手を出さない。
C:80%の人はなかなか購入しない。その人の不安や夢を聞きだしてより良い未来を想像させることで購
入するらしい。

みたいな事が書かれてた。
この80%と、私が感じている「自分で決められない人たち」が共通しているものを持っている気がした。それはそれで、その人がいいのならそれでいいんだと思うけど、私はそうでありたくはない。と。思う。

自分を信じて自分を軸にして生きて行きて行きたい人へのコンサルは時間もかかると思うけど時間が取れる限り地味にやって行こうと思う。

近日中に5月のコンサルの募集のお知らせをします。