「正しい」という「悪」

「正しい」という「悪」

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エッセイ



戦争の冊子を作ってた事は、かなりの精神的なプレッシャーだったの。何をどう書いても、このテーマは全ての人が納得する答えは出ないし、その人の知識、体験、世代、立場などで本当にいろんな考えがある。それを、如何に出来るだけ中立に書くか・・・入稿までの最後の一週間位はかなりきつかった。

戦争の事になると、「正しい」「過ち」「謝罪」「正義」とか、という、判断、ジャッジ、感、のある感覚をよく感じる。

「正義」「正しい」は、「悪」や「間違え」を自動的に作る。

私はよく、「好き嫌い」で物事を判断する。多分殆どが「好き嫌い」だと思う。「大人げない」といわれる事もあるし、わがままだといわれる事もある。それでも「正しい」という事より「好き嫌い」の方が私の個人の感覚であって、主観的だけ。だけど、「正しい」という判断を行う時、それは何を基準に正しいとしているのか、どの国の、誰の、どの時代のどういった立場の人の基準で「正しい」を作っているのか。実はとても曖昧な事なような気がする。

昔は、情報源も少なく、情報はある程度限られ、国の教育、宗教、思想、だったから同じような常識や認識を持つ人は多かったと思う。でも、今の時代、その判断基準がとても難しい時代になっていると思う。

多くの事は、学校の試験やテストのように答えがすっきり出る物ではない気がする。人の考えや想いがあるものには、万人の納得する正しい答えはない気がするの。私はよく「事情」という言葉を使う。それぞれ、何事も、どうしてそうなったのか、事情がある。正しい、正しくないより、「事情」を考える事の方が有意義な気がする。

自分の考えや常識が「正しい」と思って人と接する事は、「悪」「間違え」を自動生産する。

最近、ふと思い出した事があったの。私は過去に3回ほど、しゃべれなくなった事があるの。それはいつも、私の事情や心を無視して(もしくは勘違いして)その人が「正しい」という強い考えを何度も押しつけられるというか、何かを言っても、受け入れてもらえずに否定されたりすると、初めは、ちょっと我慢する。でも、何度もあると、ある時、ハートが苦しくなって、息が苦しくなって、言葉を発する事が出来なくなってた。

最近、ちょっと、色々あって、そんな頃のハートの感じ、思い出した。

正しい、とか、常識とか、私にはよくわからない。
その判断の基準がはっきり解らないものは「正しい」「常識」という言葉はあまり意味も持たず、人を傷つける様な気がします。







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