「性善説」を当り前の様に信じてる自分に気付いた。。。

「性善説」を当り前の様に信じてる自分に気付いた。。。

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エッセイ


ここんところ、頭の中、色々ストレスもあり、今日は完全に気分転換という日にしたの。朝、映画のチェックして、10年ぶりくらいかな~、自分から映画でも行ってみようと。何でもいいけど、とりあえず、レ・ミゼラブルにしょうと。

この映画、ミュージカルだったんだ(゜o゜)
というレベルで、私は何も知らなかった。

「ああ無情」だよね?子供の頃に、家にあったけど、ちょっとしか読んだこと無かった。長いから読めなかったのよ。多分読んでも理解できなかったと思うな。

すごい、哲学的な話だったんだね。
物語を順序立てて説明するのは苦手なので、端折ります。m(__)m

良かったよ。

ここのところ、色々考えていた事の、ヒントがあったの。

昨日も書いたように、私は「正しい」という事は「悪」や「間違っている」という対極のものを自動に作りだすと思ってる。それは人を傷つけると思うの。だから私は多くを主観的な「好き嫌い」で選ぶ。

でも、単に、「好き嫌い」で物事を判断したり選んだりする事がといいとは一概には言えないとも感じてた。過去のいろんな経験から出来た感情や思い、考えや行動のパターンがネガティブに作用しているとそれは子供じみた「好き嫌い」「わがまま」「うざったさ」等などになってしまうんじゃないかな、と。

自他への尊重やそれぞれの事情を理解する事で、単なる「好き嫌い」「わがまま」「うざったさ」等などでは無くなるのでは?と思ってたの。絡んだいろんな過去の感情を整理・解放する事によってそうなるんじゃないかな、と。

で、今日映画を見た後で、解った事は、
私は、俗にいう「性善説」というのかな、「人間の本性は基本的に善である」。それを当り前のように信じてる気がする。だから感情を解放したら、元々の本質にあった、「善」がシンプルに出てきて、その本質にある「善」を基盤にして物事を捉え考え対応していくんじゃないかなと。根底で性善説を当り前のように信じてる、自分に気付いた。の。

でも、なかなかシンプルに「本質にある善」を基盤に生きられないのは、感情が色々絡んでいるからじゃないのかなと。だから感情解放教祖になったんだと思う(^^ゞ

じゃぁ、性善説を信じる私はみんなに親切で優しいか、というと、私はそうじゃなくて、自分自身の心や人生に正直に真摯に向かい合い、絡んだ感情に気付き、自分で解いて行こうと思っている人には結構優しいけど、自分自身から目をそむけている人には冷たかったりする。えへ。
自分しか、自分を変えられないし、自分が気付かないと感情は解けないと思うんだ。それに気付かない人はちょっとめんどくさかったりする。で、気付かない人に言っても、反発されたり、要らん世話だったり、つっかかられたり、面倒な事になったりするので、しら~っとする―する。私は別に聖人君子じゃないし、いいんじゃないかなと思ってる。

レ・ミゼラブルを見て、性善説を当たり前に信じてる。そんな自分に気付いたのでした。だから、感情をある程度整理解放出来たら「本質にある善」を軸に生きるようになるんじゃないかなと信じてる。

深い所で、それを、当り前のように信じてる。
で、私の感情解放のメソッドには、、性善説が根底にあるんだと、気付いた。
で、自分にとって当り前の事ほど、気付きにくかったりもするよね。
チャンチャンღ˘◡˘ற♡.。oO


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