私は、比較的、自分の意思を相手に伝えるように心がけてる。
「心がけてる」というのは、私もこれが苦手だったの。

先日、友人と話してて、ふと思い出した。

私は20歳でニューヨークに行ったでしょ。
自分がどうしたいのか、自分で決めなくてはいけないシチュエーションがよくあった。
どこに行きたいか、何が食べたいか、何がしたいか。

「Up to you」(君次第だよ)と言われたら、どうしていいか解らなくってきつかったな。

信じられないかもしれないけど、私はいつも答える事が出来なかったの。
自分がどうしたいか伝えるようにがんばった。
でも、自分で決める事が出来なかった私は、きちんと自分の意思で選んだとは思わない。とりあえず、選ばなくちゃいけないから選んでその場をしのいだ。とはいえ、選べなくて相手を困らせる事も多かったと思う。

私の家は、父が絶対的な法だったと思う。
自分の希望を伝えて、あとの決定権は父が持ってたかも。
全て決めてもらえる事は、楽な部分もあるのかもしれない。庇護されてるというか。

お友達の間でも、自分がどうしたいか、という事より、周りの空気や流れで選んでいた気がする。
アメリカに行ったの事も、実は、流れで・・・あはは。

自分の意思をちゃんと持ってなかったのね。

アメリカ生活が3年位した時に徐々に楽になってきた。
6年位した時に、当時70代後半だったベーシストのレナードガスキンが、レコーディング中に、
「Seina、どうしたいんだ?君がリーダーなんだ。
君がどうしたいかはっきりしないと、僕たちはついて行けないよ」

どうしていいか解らなかった。
でも、どうでもこうでも、私が決めないと進まない。
上ずりそうになりながら、とにかく道を決めないとと、リードしたのを覚えてる。

日本に帰ってきて、コンサートの時に年上のメンバーに自分の意思をどんどん伝えたら、
嫌われたっぽい。(笑)

それからは、ご存じのとおり、歌う事出来なくなった。

アメリカだから、日本だから、ではなくて、
自分を信じて、自分が軸を持ち、意思を伝える事は、とても大事だと思う。
日本人の場合は、空気を読みながら、相手の事を考えながら、意思を伝える事が出来るようになると思うの。

自分がどうしたいか、
これからの時代にとても大事なキーワードになると思う。

心に耳を傾けると、
どうしたいか、聞こえてきたりする。

私も、未だに、「馬鹿げてるよ」と、どっかから聞こえてくる事もあるけど、出来る限り、自分の心の声を聞くの。
いろんなトラウマや経験がなかなか本当の自分の声を聞かせてくれない事もある。だから感情解放ね。

どうしたいかは、自分にしかわからない。
そして、自分の選択は自分で責任を取る。
もう誰も庇護してくれないしね。

あ、そういえば、人の選択とかって、責任転嫁出来るね。