若いころ、多分20代はじめかな。
よく、「大人になりなさい」と言われた。

どうも、周りの言ってる、大人になるという事は、「自分を抑え(殺し)、我慢をし、周りに(人に)合わせる。」という感じがした。あの頃の私は、全くそれが納得できず、大人になるってなんだろう、って、すごく、考えた。

私が自分の中で出した答えは、
「自分で考え、自分で選択し、その責任もリスクも自分が持つ。」だった。

だから、一生懸命、自分で考え、自分で選択しようとした。でも、それによって、よく打たれたし、否定されたし、排除された。私自身、リスクや責任を持てる強さも理解力もなかった。だからよく人にも迷惑をかけたと思う。子供だったと思う。

この数日、気付いた事があったの。

poster今アメリカの日系人の戦時中の事とかをよく考えるんだけど、日系人で出来た部隊は、アメリカ陸軍史上最強と言われてるの。昨日見たドキュメンタリーは、MISといって、Military Intelligence Service といって、情報関係の人達ね。彼らは太平洋戦線で日本からの情報の解析などをしたの。彼らの多くは幼いころに日本に行き、日本で教育を受けている人達がいたの。そういう人を、帰米、っていうんだって。インタービューの中で、多くの人が、「大和魂(JAPANESE SPIRIT)」というの。お父さんや、おじいさんから教えられ、我慢や忍耐等から育まれたと。ちなみに、ヨーロッパ戦線に行った日系人は、二世、っていうんだって。その人たちも、大和魂と言っていた。で、この連隊は、本当にすんごい強いのよ。

この、我慢、忍耐、己を殺して、人に合わせる。というのは、日本人の持つ、いい所でもあったと、改めて気付いたの。ただ、今の時代は、幅広い価値観と選択肢があるから、日本にあったこういった価値観が単なる美徳ではなくなり、自由な発想や行動に価値を置いた場合、大きな足かせになる場合もある気がしたの。

で、この、忍耐、我慢、己を殺して人に合わせる、という事は、ある種の強さが無いといけない。日本で大人になるという事は、そういう考えや価値観が基盤にあって、周りの人達は「大人になりなさい」と、言っていたのでは。と。でも、多くの人が、どうしてそれが、大人を意味するのか等はあまり考えてなくて、そう適当に思いこんでて、そんなもんだと、自由な生き方もあるはずなのに、うまく理解が出来ずに、その人たち自身が、かけ離れた価値観が生まれる事により、価値観の基準や、その中にある本質的な事や、意味が解らなくなっていたというか。

厳しく、自分を律する事も大事だと思う。自由に発想をし生きる事も、これからの日本人には大事だと思う。その両方をよく理解し、うまく融合させて自分の中に指針を持つと、いいのかもしれない。すごい、最強な気がするw。

自由には、責任が伴う。
私はかなり自由です。でも、多くのリスクや責任を自分で解ってる。私の場合は、超個人主義なので、人との和合に欠ける部分もある。でも、そうしないと、私の場合は、自分の考えが見えなくなるの。だから、時々さびしいかな~、って思っても、今の私は自分の「個」を感じられる様に、1人でいる事を選択するの。

日本は特に、まだ、古い価値観が潜在意識に根付いていて、それが集団になる事で、多様性と個を持たないが故に、恐ろしい事もある場合もある。それは、私が子供の頃にいじめられた時等に感じた事ね。だから日本人の集団やグループに属する事は極力避けてる。でも、そうする事で、孤立したり、助けてもらえない事もあるというリスクも解ってる。

じゃぁ、外国、私の場合、もしくは、日本の歴史的軌跡からいうと、アメリカね。
アメリカは、個が確立されていて、理想の自由の国か?といえば、そうじゃない。アメリカに行けば、私はそこに「個」として属して暮らしやすいのか。いえいえ、そこでも、私は、違う者として、孤立するのだと思うし、私は国籍も、基盤も、日本人。でも、今の日本にも、合わない。あと10~20年くらいしたら、私みたいな考えや生き方の人も増える気もするけど、未来は解らないw。

私が若い頃に、考えついた、大人、という概念。
「自分で考え、自分で選択し、その責任もリスクも自分が持つ。」(これをAとしましょう。)
そういう意味では、20代は本当に子供だったと思う。でも、自分で考えてみて、選択してみて、失敗してみないと解らない事も沢山あったと思う。30代は、思春期で、すごく大変だった。
「自分で考え、自分で選択し、その責任もリスクも自分が持つ。」という事の意味が本当に解り出したのは、近年なのかもしれない。

このまえの、「自由について考えてみた」で書いたように、戦後、日本は、すごい変化を求められる。

「自分を抑え(殺し)、我慢をし、周りに(人に)合わせる。」(これをBとしましょう。)
日本の歴史や風土、バックグランド、思想等を考えると、これも、大人、という概念に当てはまると思う。

感情解放に関する、セッションや、やり取りの中で。Bの価値観の中で育ち、Aという価値観がある事に気付き、バランスを崩して、生きる指針や方法を見失ってしまっている人も多い気がするの。じゃぁ、古くからのBという価値観にしっかりひきかえり、生きるのがいいいのか、といえば、時代を考えると、情報や選択肢が多様化する中、Aという価値観も受け入れて行く必要もあると思うの。

Bの持つ、よさと、厳しさ。Aの持つ、よさと、厳しさ。を、よく理解する事は、これから日本人としてのアイデンティティを確立する為の鍵になる気がするの。

私は20代の時、Aという生き方を選択して、20代からA的に子供として、日本で、ぶつかりながら、模索しながら、泣きながら生きてきた。
反対に、多くの日本人は、B的にはある程度大人になりかけていたけどA的な生き方や考え方を習得できなかった人は、多い気がするの。

これは、いいとか、悪いではなく、この前の、「自由について考えてみた」で書いたような、ずれ。でもあるともうの。じゃぁ、アメリカ式人になればいいのか?といえば、そうじゃなくて、アメリカナイズされるのではなく、日本人としての善き所をりかいしつつ、アメリカ式な理解と、世界的な理解を兼ね備えて行く必要とかが、あるのかもとか。話し大きくなったけど。

今年のはじめ、マッカーサーの名誉ガードをしていたおじさんに、「マッカーサーは日本をどう思ってたの?」と、泣きながら訴えた。彼は、マッカーサーは、「孤児になった日本人の養父」と言った。正直、嫌な気持ちになった。嫌な表現だった。原爆落とされて、戦争で負けて、占領されて、日本が悪いと歴史的にアメリカは言ってるのに、どうしてマッカーサーが、「孤児になった日本人の養父」だなんていうの?でも、そこをぶつけるほどの英語力も、歴史的認識もないので、適当に流した。えへ。

でも、最近、現代の日本人のアイデンティティを考えてて、悔しいけど、否めない部分もあるとも思った・・・。

だったらその時代をある程度理解し、日本の善き所と、アメリカがもたらした善き所、両方をもう一度考え直すのもいいのかもしれない。

お客さまの多くが、Bという概念が残る中で育てられ、30代から40代でAを知り、ある種のカタルシスが起こり、現代やこれからのの日本人の新しい生き方を模索しているのかもしれない。

古くからある日本を否定することなく、新しい価値観をとりいれ、移行させる、手助けの方法も、しっかり考えて行きたいと思った。

こういった、歴史的背景が、どの様に、私たちに影響しているか、しっかり解ったら、「大人」の概念も変わるのかもしれない。

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この記事から4年半後。私も少しずつ大人として成熟していっているのだと思います。
続・大人になる、という意味