私の第二次世界大戦のコト。14歳の時に見た映画、「グレンミラー物語」から始まった。

15歳の頃に脚にスゴイ湿疹が出て、病院に行ってもおかしな診断ばかりされ、ある霊能者?に見てもらい、太平洋戦で大火傷を負った、らしい?「アメリカに帰りたい」と言って、涙がイッパイ、流れた。

20歳で何でかニューヨークに。その後歌を始めたでしょ。惹かれる歌は1930〜40年代のものばかり。27歳の頃、どうしても第二次世界大戦時代の歌を歌ってそれをその時代を生きたアメリカ人に届けたい。って、アメリカの3500ヶ所の老人ホームに送った。

image あの頃将来の最終的な夢や希望を想像すると、きれいに手入れのされた芝生と白い墓標が並んだ景色にいつも辿り着いた。

CDを送って、これで終われる、って思ってた。私が第二次世界大戦にこだわり続ける事に父は反対した。終止符を打って、結婚もした。でもアメリカも第二次世界大戦の歌も諦められなかった。だから、離婚した。

2011年に横浜から故郷に引越して、太平洋戦争の米退役軍人との再会で、故郷のの歴史を知り、導かれる様に深く第二次世界大戦にのめり込んで行った。

私は前世で何をして、どうやって死んだんだろう?

時々、深く考える。ハートに耳を傾ける。
本当の事はわからない。
色んな瞬間に、はっとする。
何年もかけて、その破片を自分なりに何度も検証して、自分の心の棚に並べる。

昨日から突然。またワシントンDCに来ています。
昨日はスミソニアンの航空宇宙博物館に行ってきました。
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第二次世界大戦の航空機のコーナーの後、1920〜30年代の航空機を見てたら、ワクワクが止まらなかった。そんな物にここまで心が躍るなんて、自分でも思ってなかった。

その時代の航空機には、沢山の夢や希望、挑戦があるように感じた。凄くワクワクした。

もしも、その時代に子供〜ティーンエイジャーだったとしたら、第二次世界大戦の頃に丁度そんな歳だな。。。とか。もしそうだったら。
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スミソニアンではDog Tagsというのを作った。ずっと欲しかった。負傷や戦死した時に、確認が出来る様に首からかけてるネームプレート。凄く嬉しかった。

昨日はとても楽しかった。

戦闘機や軍艦を近くで見ると、ゾクゾクする。絶対的に強いモノへの憧れを強く持っているんだと思った。初めてそれに気づいた時、罪悪感をもった。戦争に関するものは負なので、そう思うことはいけないことだと植え付けられてる気がした。でも、今はそういった事を魂の記憶として大切に受け止めるようにしてる。

前世に拘り過ぎるのはあまり良いとは思わない。でも、その前世の想いを大切にして生きている時、私はとても充実感があって、生きてるって実感する。だから私の中の「彼」の気が済むまで「彼」と一緒に生きたい。とことん「彼」に付き合いたい。だから、まだ私の「魂の旅」は終われない。

その為に働いて、日本やアメリカを飛び回る様な私ですが、これからもよろしくお願い致します。

今日はまた、アーリントン墓地に行こうと思うの。
きれいに手入れのされた墓地を見ていると、安心するし落ち着くんです。