正義という凶器

正義という凶器

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エッセイ


家族の中で、私がどうしてこんなに傷ついてきたのか。

私が何をしたって言うの?
私の友人も、私もそう思ってた。

今思うと、「正義感」「正当性」「正論」そういった人間としての理想の様な物が私の中に強くあったからだと思う。

どう考えてもおかしいなとか、それ間違ってるでしょ。と、感じると「正義感」という凶器を手に持った気がする。
大切な人にほど、私はこの正義感や正当性をぶつけたのかもしれない。

一般的に美徳と思われる正義感。
それは、間接的に相手を「悪」とする。
悪とされて嬉しい人はいない。

以前の私の魅力の一つは、「正義感」だったと思う。古い友人も私のそういう所が好きで信頼できたとよく言う。

それおかしいよね?と言う事に、臆する事無く、真正面から、「おかしいでしょ」と、立ち向かう?それが私だった。

私が大きく変わったのは、戦争の歴史をやった事かもと思う。日米双方を股にかけ、どちらの国も好きな私は、互いの正当性や、正義の間でいつの間にか傷ついて行った。その正義は多くの場合、一方的な観点からで、深く相手側の歴史を理解しようとしてないように感じたの。

私の正当性や正義感は家族を追いこみ、責め込んだと思う。理想や正論で人間は生きていけない。人間はそれ程強くない。多くの場合相手の人間的弱さ、そこから来るずるさに対して寛容ではなかった。

そういった正義感が無かったら、悪いことばかりをするのか?と言うと、きちんと本人に自覚と分析能力があり、よき人でありたいという想いが根底にあれば、そうでもないと思う。色んな事があって歪んでしまうと色々絡んで解らなくなる。その絡みやしくみが理解できると、その痛みを理解して、そこを責めようとしない。もしくは自分に関係のないモノとして意図的に避けるようになった。でも、自分の存在を否定されると今でも時々戦おうとする気がする。そうやって自分を護ろうとする。

正当性や正義感をぶつける時、理解してもらいたい、や、自分の考えを相手に押しつけるのかもしれない。相手が違う考えを持っていた場合、それは相手を否定し、相手を傷つける。相手も自分を護るために戦いに答える。

どちらが先かは、その時々によるけど、その仕組みに気付かない限り、私たちは「正義感」「正当性」といった凶器で、他者を否定し傷つけるのかもしれない。

そうやって、傷つけ合い、私達はボロボロになったんだと思う。




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