キューバ便り⑪革命後の55年が長いか短いか。

キューバ便り⑪革命後の55年が長いか短いか。

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エッセイ キューバ



またしても写真なしの文章のみです
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キューバ便り⑩で書いた、アナちゃんの家に行った時、「私達はインターネットも使えないし、沢山の情報を得ることも出来ない」と、不満そうに彼女は言った。

私は、キューバの完全なる部外者。全く違う歴史と文化と人種構成を持っている。
だから、キューバの人たちの気持ちをきちんと理解する事は難しいと思う。無理でしょう。

私は、私の経験と知識と考えというフィルターを通して物事を私なりに判断する。物事を考える。

私は彼女に言った。

「革命前には読み書きのできない人たちが多くいた。読み書きができるという事がどれ程素晴らしい事で、力を持つ事につながるか。西洋人は行った植民地時代や奴隷制度の中で、教育を与えず、読み書きを学ぶことを禁じた。それは、教育や読み書きは最も強い武器となるから。また、情報というモノは自分でしっかり考え、選択できなければとても危険なものでもある事を知っていてほしい。ましてや、この国が情報の扉を開いたら、アメリカからの多くの情報が入ってくると思う。多くの情報により混乱する事もある。だから入ってくる情報を規制する事も一つのアイデアとしてはありだと思う。

革命後、キューバはすべての国民に教育を与え基盤を作ったと思う。

私達の国は、太平洋戦争に負けた時、天皇陛下がラジオで国民に言ったの。

未来の世代の為に、今、辛抱をして、がんばってほしい。感情に任せて事件を起こしたりしないでほしい、と頼んだの。彼らは耐え忍んで頑張ってくれた。だから、私達は今こうして良い時代を生きる事が出来たんだと思う。今の人たちにとってはとても大変な時代かもしれないけど、この50数年が歴史になった時に、それは長い50年ではなく、大切な50年だったと気付くかもしれない。」

そう彼女に言った数日間、何度か、この事を自分なりに考えてみた。

私達の国は、無条件降伏という、全てを受け入れる事を受け入れた。
それが、どういう意味なのか。どういう事につながるのか。

私達には、自分たちを正当化する事は許されなかったと思う。戦勝国の要求を殆どすべて受け入れる事が、無条件降伏なのかもしれない。

原爆は、あの戦争を終わらせるためにいたし方ない手段であったと、戦勝国が言うのなら、あの時代私達の国はその理論や正当性を受け入れるしかなかったのかもしれない。

悔しさをのみ込み、多くを受け入れたからか。その後、朝鮮戦争があり、多くの経済が日本に入ってきたと思う。この前グアテマラで出会ったメキシコに住む韓国人男性と話をしていたら、彼らは、朝鮮戦争後のベトナム戦争で多くの経済が入ってきたと言っていた。

日本人が勤勉だから戦後の復興が進み、経済発展を成しえたという、部分も無きにしも非ずかもしれないけど、無条件で全てを受け入れ、アメリカの傘の中に入った事で得る事が出来たものも多くあると思う。

私は1969年。戦後25年して、生まれた。
日本の復興と、「新しい日本?」作りの基盤は戦後10年~20年で出来たのかもしれない。キューバの55年に比べたら、かなり短い。

でも、キューバは、アメリカに「否」を提示した国。
アメリカは、小さな島国キューバに経済制裁を続けた。

アメリカがどうしてあれほどの「力」と「権利」と、「正当性」を国際的に誇示できるのか、私にはまだ世界の仕組みの理解が足りない。

外国人で部外者の、今の私のフィルターで見ると、アメリカに「否」を提示したキューバにとって50年ちょっとが長いとは思わない。50年ちょっとの間に築けた物の価値や意味を国民が本当に理解するには時間がかかる事なのだと思う。

私が日本をある程度理解して、愛する事が出来るようになるまでにすらとっても時間がかかったように。

今こうやって読み書きが出来て、多くの情報を得て自分で考え自分で選択し、こうやって書くことができる。あんなに嫌いだった、学校や教育制度のお陰だと、やっと近年気づいた。

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