スピリチュアルが流行った、というか、江原浩之さんが出てきた頃からそういうブームがあった。私は、中学生の頃から、父の仕事柄そういう事がとても身近だった。結構追求したと思う。そういった人に関われば関わるほど疑問が膨らんだ。

きっと、みんながそうじゃないのかもしれないけど、変な世界だった。その変な人たちの世界を「スピリチュアル系」という言葉でちょっと書こう。

多くの場合、愛・光・エネルギー・高次元。そういう言葉を使う人ほど胡散臭く、普通にモラルが無いのかもしれないと思うような事もあった。そういう人たちの中に居たら、そうなっていくか、居れなくなるか。虚飾、虚像、洗脳、勘違い・・・。

ヤングリヴィングを辞めた事が、私にとってスピリチュアル系な人たちと離れる大きなきっかけになったと思う。ずるくて、えぐい世界だった。私も結構ずるく上手く立ち回ったと思う。

何年も前、「スピリチュアルに関する事でどの位お金を使いましたか」
というリサーチをした。

回答してくれた人たちの多くが50万円以上を使い、何100万円という額を使った人も少なくなかった。

今ふと思うと、今生で幸せじゃないと言うか、生きる意味が解らない人ほどスピリチュアルにはまっている様な気がする。

幸せで、生きる事が充実していたら、スピリチュアル系に時間やお金を費やす事はしない気がする。

じゃぁ、私は幸せなんですか?

と、聞かれると、何とも言えない。

いろんな問題はある。
嫌いな人もいるし、相いれない人たちもいる。
経済的に成功者でもない。
上手く行かない事も色々ある。

でも、結構幸せというか、

悲しみだけにフォーカスしても仕方ないけど、悲しみは悲しみで受け入れ、それを糧にしたい。きついけど。生きてるって感じる。

相変わらず、孤独はあるけど、実はみんな本当は孤独で、自分に嘘をついたり、誤魔化したりして出来れば生きたくはないと思う。

もう46年も生きてしまった。

46年も生きたら、色んな人に会って、色んなところに行って、いろんな経験を、ある程度したと思う。

前世を気にするより、今の生を感じて、受け入れて、生きている事に感謝する方が色んな事がリアルで面白い。

袖すり合うも多生の縁なので、きっと出会う人たちには多生で出会っているのかもしれないけど、誰かが、「前世で○○だったので」と、言う言葉に信憑性も少なく、本当だったとしても、それが何?と思う。

何かが憑いている。
と、言われても、自分が引き寄せてる気がする。

自分が変わったら、憑く事も殆ど無くなった。

「インディゴチルドレンだから」
「前世で○○だったから」

「~だから」

そう理由づけられたら、それ以上何も言えない。

スピリチュアル系な事って、何かの言い訳や、逃げ道、になっていると感じる時もある。

血の通った、身体のある自分が、やるか、やらないか。

スピリチュアル系の人が言う事を鵜呑みにしてやるのではなく、自分で決めてやるか、やらないか。

そういう事が解って来た時、「スピリチュアル系」からの脱却が始まるのかもしれない。

でも、スピリチュアル系の人たちの殆どは、スピリチュアルは宗教じゃないと言う。

その事は、次に書こう。