「許せない」より「理解をする」

「許せない」より「理解をする」

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エッセイ


最近、毎日目にする言葉

「テロは決して許せない」

その度に、疑問に思う。
アンタ何様ですか?

感情解放の仕事をしていて、
「母を許せないんです」
「○○を許せないんです」

という方がいる。
結構多いと思う。

私は心のすみで、傲慢だな、と、ちょっと思ってしまう。

でも、彼らは、誰かを許せない自分に苦しむ。


私は、
「許さなくてはいけないのですか?私には【許す】という事がよく理解できないのです。許す事より、理解出来たほうがいいと思うんです」
という。

相手の事情が理解出来たら、許すとか、許さないじゃなくて、なんか手放せる。

どんな時に「許せない」と思うのか、「馬鹿にされた感」「利用された感」「期待を裏切られた感」とかかな~。

「許す事」が崇高というか、良い事と思い込まされているので、ゆるせない自分に苦しむのだと思う。

でも、そもそも、この「許す」って何だろうと思う。


もし、野ブタがなかなか射止められなくて、腹立たしく、感情的になり、追っかけていたとする。
その時に、ふと、野ブタが、立ち止まり優しい目でその人を見つめた。
彼はふと殺気を持った自分が冷静になり、自分の感情的であった愚かさに気付き、野ブタさんの前に立ちすくむ。
その時、野ブタさんは、彼に攻撃してくる事も無く、愛らしい、優しい笑顔を残し静かに立ち去る。


buta
その時、その人は、「野ブタは私を許してくれた」

ではなく、「おおおおおおお!助かった。命拾いした。」が殆どじゃないだろうか。人によっては、「野ブタ、なめんじゃねえよ」

もちろん中には、その日から野ブタも、おけらだって、あめんぼうだって、みんなの命を尊く思い始める人もいるかもしれないけど。

これは、野ブタがなかなか射止められずに、「馬鹿にされた感」があって、そもそも、この野ブタに、人権じゃなくて、豚権はない。



人間は生きる為に野ブタを射止めたかったのかもしれないが、野ブタさんには野ブタさんの生きる意味があるんじゃないか。

もし、これが、野ブタじゃなくて、上司や親、自分より力があると思い込んでいる者たちだったら、どうだろう。

人間の中にある、自分が相手より上だとか、下だとか、そういうものが「許す」という事の中にある気がするの。

そういったものが、人間の中には結構あって、傲慢さを生むんじゃないか。と。


許可

許諾

何か自分個人より、大きな組織、システム、権威もしくは自分の管轄外の物から貰う物で、自分の力では侵せないテリトリーとか、それは、他人に対しても。みたいな感じじゃないかなと思う。

また、
「ゆるしなさい」

と、いう人たち。

宗教家か、偽善者か、勘違い者に感じる。






ま、せいなさんも、よく、ヤングリヴィングの事を色々言うけど、と思われるかもしれませんが、ゆるせないのじゃなくて、

おかしいじゃん!

いいかげん、気付けよ

です。

でも、許せない、というか、馬鹿にすんなよ、みたいなのあるかもなとも思う。

でも、どうして、許せない、というか、馬鹿にすんなよ、って思ってしまうかと言うと、馬鹿にしてるような事をやってくれたからだと思う。

でも、あの頃、それが見抜けなかったのも、それを利用したのも、私。

そういう私は、今も心のどこかでヤングリヴィングと戦っているのかもしれない。

イスラム国がどうしてああいう形で組織を作り、戦うのか、欧米諸国が馬鹿にしてるような事を沢山やってないとは言えない・・・でも、それは、それぞれが調べて知って行って欲しい。

ひとつ前の記事、「平和の為に祈る人たちへ」に、調べて知って行く方法を書いています。

ゆるす事より、いくつもの立ち位置から考え、理解をすることだと思う。



今回のテロでもうひとつ違和感を持つ言葉

「テロには決して屈しない」

この言葉も危険だと思う。

「私にこんな事をしてゆるされるとでもお思いですか?」という感じ。

「かかってこい」「受けて立ちましょう」みたい。

その前に、自分達サイドが何をしてきたのかしっかり考え理解しようとすればいいのですが、自分達サイドがやった事を知ってか知らずか、何様?という感じで、そこが傲慢さと愚かさのようにも感じるのです。



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