以前、「大人になる、という意味」という記事を書いたのね。

今でもよく読まれてる。
あれから4年半も経ったよ。

あの頃書いた事は、
「自分で選択して自分で責任をとる」
そういう事だったと思う。

それと日本人としてのアイデンティティの模索を続けてた。

あれから私もいろんな経験をしたと思う。
今の私が感じる事は、

「自分で選択して自分で責任をとる」は大人になるスタートだったと。

近年感じていた「大人になるという事」は、
色んな人達の「事情」を理解できる幅を持ているという事じゃないかと感じています。

子供の頃って、経験や知識が少ないので、他人の「事情」を理解できるリソースとなる経験が少ないんだと思う。

それプラス、否定的な言葉や環境で育てられて尊重をあまりされなかった場合、自分という存在価値が自分の中で確立されてない。心が栄養失調というか。そういう場合、アダルトチルドレンになってしまったり。

そういう人たちの多くは、物事を誰かのせいにしてしまう傾向があると思うの。
特に顕著なのが、「親のせい」。

理解してもらえなかった。
~させられた。
愛されなかった。

等々

でも、年齢を重ねると、いつの間にか親が子育てをした年齢を超える。理解できてもいいはずなのに、心と頭は別でその囚われから抜けられない。

そういう人たちは、自分を抑えて他者の事情を受け入れる事は多くあっても、他者の事情を尊重して理解する事が難しい。

まずは親の人生を大人の目線で理解し、親の人生を理解尊重する。

そうやって、自分の選択に対して自分で責任を持ち、他人のせいにしないという仕組みや思考を体験してもらう。

そこで、精神的な親離れが始まる。

青年期みたいな感じかな。
そこから自分の選択に対して自分で責任を持ち、他人のせいにしないという生き方を歩み始め、囚われていた思考の檻から出て、自分の意思と自分の責任で色んな事を経験して行く。

自分の考え方の基盤を変え、経験する事で色んな事が新しく塗り替えられていく。
「自分の考え方の基盤を変える」為に感情解放がとても重要だと感じています。

自分にも、自分の親にもいろんな事情があった様に、それぞれに人達にいろんな事情がある事を理解して行けるようになる。

そうやって、大人として少しずつ成熟して行くというか。
私もまだまだ、知らない事だらけだし、10年後、20年後の私はまた違う観点を見つけていると思う。

知識と経験によって思考(人)はどんどん変わっていく。

知識だけでは頭でっかちになる。
だから、行動を伴い経験をして行く。
そしてある時には立ち止まり、深く考える。

考える為にはリソースとなる経験と知識が必要になる。

そうやって、大人になっていく。
というより、大人として、人として熟して行くんだと思う。

超不便な国キューバくんだりに居て、お客様には申し訳ないと思う反面、全く違う歴史、文化や習慣の中で、私たちの常識では理解できない家族のシステムや関係、経済レベルの違いからくる思考や行動、私たちの当たり前は全く当たり前じゃない現実の中で、それぞれの常識という洗脳に気づきながら、ある時は崩壊し、自分の中の価値観を見つめなおし、そしてまた再構築し、多分、より幅の広い、視野の広い、私になって行っていると感じています。

日本人としてのアイデンティティもばっちりです( `ー´)ノ