キューバで感じた色々な事。色々な事。色々な事。
その中で、長い間、受け入れがたかったのが、「家族のかたち」

そういう葛藤、以前に何度か書いています。
キューバでの家族の在り方への疑問
キューバでの暮らしの中で感じる貧困の要因や日本との違い

ざくっというと、
異父異母兄弟が当たり前で、日本の父親とは責任意識が全く違う。

でも、結構長くキューバで暮らして感じた事は、すごく私の事を想ってくれるの。私を「家族」だと言うの。でも、家族と言われてもキューバ人と日本人の私の家族のかたちや概念が違うと感じたの。だけど、彼らにとっては私は家族だったのかもしれない。

明るく見えるラテンの人達。
だけど、よくよく知ると、すごく色んな痛みや混乱を持ってるのね。特に家族との間に。だから明るいけど、何もないご機嫌な人達でもない。

もっかい言うけど、
異父異母兄弟が当たり前。
私から見ると、「半分他人」。

何が言いたいかというと、家族との血が薄い気がするの。

私たち日本人の多くは、同じ両親から生まれた兄弟で、「家族」(時代とともに変化はしてる)。だから兄弟も同じ血が流れてる(これを血が濃いとここではとらえてください)。お父さんかお母さんが違ったら、兄弟や家族として受け入れるのに少しハードルがあったりする。

彼らは、家族の血が、私たちより薄い。
だからか、家族と他人の壁が私たちより薄いというか。

そもそも、私から見ると、家族のかたちや概念、責任意識も違う。だけど、それが彼らにとっても「家族」であって、私は彼らにとって「家族」だったんじゃないかと。

いつも、家の扉が空いていて、私がいつ行っても当たり前。もちろん前もって連絡するような事も無い。

彼らと過ごした時間はとても当り前で、とても特別だったと思う。

私が持ち続けた、家族、の概念。

その概念の中で縛られていた自分。でも、それが緩んだら、違う世界が見えてくる。

クリスタライズの住所になっている、割烹珍竹林。

珍竹林のママと社長(ご主人)とのお付き合いは四半世紀を過ぎた。

ママの家が、私にとっての実家なんだ。で、ママはやっぱりママで、私がどうしてノマド的に、世界を放浪して生きていられるのか。ママと社長が居るから。私はママの所に住所をおき、完全な根無しにならず遠くに行ける。

私にとっては、家族なのかもしれない。
半分家族というか。

半分他人というか。

半分他人だから、血の濃い家族とは違う距離感もある。

孤独好きな私でも、私は色んな人にとても支えられてると思う。孤独が好きでも、人は、やっぱりひとりで生きていけないというか、私が孤独を好み、独りでいられるのは、私をしっかり想ってくれている人たちが居るからだとも思う。

私のように、離婚したり、結婚しなかったり、子供を産まなかった、人達が増えてる。

そういう人達が増えて、齢を取っていく中で、他人との関係性や、他人や家族に対する概念を変えていく事は、これからの時代を生きるひとつのかたちかもしれない。

本当の家族と断絶をせざる得なくなって、もう、5年になるかな。

でも、そこから色んな事があって、無くなったら無くなったで違う物が見えてきて、いろんな出会いや関係性があって、世界は広くて、自分の概念に縛られていては生きて行けず、でも両親が与えてくれたものが私の根底にしっかりあり、産んで育ててもらった事にとても感謝をしながら生きてる。

今までの思い込みや概念を変えることは意外に大変な作業だけど、「家族のかたち」「家族」の概念、思い込みに縛られているのだったら、それを緩める事で見えてくることが違うかもしれない。

そんな考えを、頭の隅っこに置いててほしい。