近年になって「アダルトチルドレン」という言葉を、私自身が理解するというか、受け入れるようになったと思う。

「アダルトチルドレン」という言葉は、ネガティブに聞こえると言うか、少し病的に感じてしまう。だから言葉自体を受け入れたくなかったんだと思う。

「あなたってアダルトチルドレンね」

といわれるより、

「インナーチャイルドあるね」

「インナーチャイルド系だよね」

と言われた方が(言った方が)ソフトでライトである気がする。

とはいえ、それぞれに程度の差があるとしてもスピリチュアル系ピープルの間でよく使われる「インナーチャイルド(系)」というのは「アダルトチルドレン」なんだ、と。気付いたというか、受け入れた。

今年に入って、ある人との関係の中で色んな発見があった。私と同世代。年齢的には立派に大人(私たち世代はもう初老らしいw)なので、ある程度の尊重すべき経験や道のりがあるから尊重しようとしてきたけど、自己肯定感がイマイチ弱く、何かと言い訳をする、優しくて真面目で、いい人なんだけど、考えややり方が甘すぎるので時々喝る。と、勝手に謝って、妙に前向きになる。何とか前に進ませたいから良い所を強く褒める、でもそれがおかしな方に発展していく・・・。最終的には幼少時からであろう父親とのドラマを言訳のように私に伝えられた。

端々色々幼稚だなと感じることは多かったけど、「あ、アダルトチルドレンってこういう事?」と、気づいた。

先日読んだ本(生きづらさの正体はアダルトチルドレン/梅岡幸子)では、
「アダルトチルドレンとは、「機能不全家庭で育った影響で、成人してからも心の傷やトラウマを抱えて生きる人たち」とあった。

感情の問題を抱えるひとたちの多くがこの本に書いていた事に当てはまっているとも感じた。悪くはないと思うが、克服する方法は、まず過去にためてきた感情を解放させる。その後はスピリチュアル系の人達の間でありがちだった典型的な「インナーチャイルドワーク」的で、私は少し気持ち悪くも感じた。

私自身が、今思えば「アダルトチルドレン」で、生き辛さをかかえて生きて来た。それが何だか解らず、どうしてだか解らず、インナーチャイルドを抱きしめても、宇宙のエネルギーに包まれても、ほとんど何も解決しなかった。

感情を解放し、他者(特に親)の都合や人生を大人として理解し(ここで多くの場合凄く時間がかかる)、感情を解放し、視野を広げ、感情を解放し、自分の弱さや強さを理解し、感情を解放し、視野や観点を広げ自分の無知を知り、感情を解放し、自分に対して責任を持つ意味を理解し・・・一歩一歩、自分の人生を自分軸で歩む。

↑これがクリスタライズの感情解放

その彼女に関しては、アダルトチルドレンなんだと理解すると、えっ!?と感じた言動や行動の理解も出来てきて、感情解放を受けることを勧めたが(感情解放は覚悟が要るからこちらから安易に勧めない)、断られた。

感情と良い子やいい人で居ようとしてきたからか、驚くような言動や行動は抑圧してきたものがある日あふれだしたのだとも思う。

そんな事を色々と考えていると、実は自己肯定感が低く、いい人や良い子でいようとしたりするというタイプのアダルトチルドレンは日本ではとても多い事に気づいた。(というか、受け入れた)

だから彼女だけが特別じゃないし、そういうひと(特に女性)が多いのは私たち世代が育った社会的価値観などを考えても仕方がないとも思う。

そうそう、そういうジェネレーション。

でもさ、若い子でも、日本人はアメリカや韓国に比べても自己肯定感が低いらしい。

これの後半はなるほどと思うから聞いてみて。