Grady Tate and Bob Cranshaw

ブログ、あまり書いてなくてごめんなさい。

母が亡くなっていた事を知って、私の周りや、私の中で何かが変わってきているのかもしれない。という感じが否めなかったこのひと月ちょっと。

ひょんな事から(アレクサの購入)音楽配信の方法が解ってから、キューピー人形いじりしながら、「こんな事やってていいの?」とか。

cupie danny

そんな中でいくつかの流れがあり、気持ちや覚悟もある程度固まった。一か八か、挑戦してみようと。

いつも、思ったようにはいかない。だけど、紆余曲折、失敗をしながら、結局はやりたかった事をやれてきた人生だと思う。

この5年間、私がいろんな所に行き、色んなことに挑戦し、いろんな目に遭いながらも、色んな事を経験できたのはクリスタライズのお客様の温かい見守りやご理解のお陰だと思う。

今回も、また、いろんな目に遭ったり、紆余曲折や失敗があるとは思うけど、私の次の挑戦、まず皆さんにお伝えする事が筋だと思うし。また見守っててほしい。

 

キューバでのレコーディングをコーディネイトするビジネスに挑戦してみようと思う。

私はいつも、自分の人生の中の風の流れを見て、「そんな気がするから」と、よく解らないままに、何かに飛び込む。怖くないといえばウソで、いつも、怖い。いつも凄く悩む。それでも、「自分の気持ち」が勝って、飛び込む。後悔しないために。

今回も凄く悩んだ。今回は二つの流れが、私の背中をぐっと押した。

ひとつは、キューバに住むダニーのパパが入院し、二人の子供(2歳と5歳)を抱える妹のダニエラが経済的にも、精神的にもかなりきつい状況だという事が解った。この数年の彼らとの関係や、キューバ人を知っていく中で、ただお金を渡すことがいい事ではないと思った。でも、何かをしてあげたいと思った時、お金はとても簡単な方法でもある事にも気づいた。

お金でその時一瞬解決できても、その人の為にはならない。甘えさせるだけだったり、貰う事が当たり前になったり。だから何か釈然としない関係になってしまったり。日本ではいつもお金がない側の私が、キューバではお金のある側の人の立場を経験したことでそういう事に気づいた。

コヒマルに住む親友のルイシートは、歌手の仕事でしっかり稼いでいる人。家に音楽スタジオを持っていて、その仕事をしたいと言っていた。

「パパやダニエラの事は僕が助けるから」と言ってくれたけど、私はいつも「安易にお金を渡さないでくれ」と。だから私たちはダニエラに仕事を作って彼女が働いた事でお金を渡せるようにしたい、とは思っていて、レコーディングのビジネスをすることなどを話し合っても来たが、それもなかなか難しい事で、その先に進めなかった。

でも、今回、二人の子供を抱えたダニエラの危機に前向きな解決策を考えた時に、やっぱり、私に考えられることはこれしかないと思った。

スタジオのドメインを取得し、私の方で勝手にサイト作りを始めた。

サイトを形にしていくことでルイシートもイメージが湧いて進めるんじゃないかと。そしてやっと彼にそのイメージが伝わってきて、もしかしたら動き出せるかもしれない

 

それから数日後、キューバでのレコーディングビジネスをするにあたって色々と調べものをしていた時に、ニューヨークの見た事のある名前のレコーディングスタジオの人のインタビュー記事に当たった。

その翌日のFacebookのポスト。


なんかね、一人で、嬉しくて、涙でそうだった。

物語、長いよ。
21才くらいの頃、NYで、ピアノを習う事にしたの。全然ピアノ出来なかった。バイエルも上巻前半でいつも挫折。そのレベルだった。

当時、階段なしのアパートで、6階。ピアノなんて買えない。友達がフェンダーのローズという電子ピアノを譲ってくれると言ってくれて、それを買ったの。でも、音も独特だし、タッチ難しい独特な楽器だった。スケールやコードの練習と、課題の「枯葉」ばかり弾いてた。

それから1年くらいして、メンタル弱い私は、日本に帰る事にしたの。だけど、このピアノをどうにかしないと、捨てるにも運び出せない。

そんなある日、日本人バーでバイトしてて、その店、何でか、ピアノがフェンダーローズだったの。たまたま、他の店が一杯で入れなくてきたお客さんがみえて、お店のピアノのを見て、何やら色々話しているの。

突っ込んで聞いてみたら、レコーディングスタジオをやっていて、フェンダーのローズを探しているというの。「私持っているんですが、6階のエレベーター無しなんです。持って行ってくれませんか」

そしたら、「買うよ」と言ってくれて、買ってくれた上に、持って行ってくれたの。

で、バーにあったのは、音量のつまみがレバーだったんだけど、私のはダイアルで、その人はまさにダイアル式で、88鍵を探してたらしいの。

1970年代くらいの楽器で、独特なサウンドを出すの。私のフェンダーローズはスーツケース、と言うので、下の部分がアンプというの?スピーカーになってて、ぺこって鍵盤と外せて、ツアーなんかに持っていくように作れた楽器らしいの。だから状態が良いものは珍しいらしく、私のは殆ど持ち出されてなくて、内部に殆どさびもないすごくいい状態だったらしい。

その人のお陰で、心病んだ私は無事日本に帰れたの。

数年後に、買ってくださった方に偶然会った時に、「槇原君のレコーディングで早速使ったよ!」と言ってた。

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で、フェンダーローズの物語、第二部。
今日、「キューバ、レコーディング」と検索をしていたら、なんでかその人が出てきたの。ニックネームしか覚えてなかったからびっくりした。

で、その人のスタジオのサイトがあったのでそこに行くと、彼が手掛けた仕事の一部がアップされてて、その中に、槇原君のアルバムを探した。1993年の録音だから多分これだ。


で、それを調べると、ドラムがグレイディ・テイトで、ベースがボブ・クランショウとなってるの。

一曲目の始めにフェンダーローズの独特な音が響くの。
あの頃の日差し、空気、寂しさ、悲しさ、壁の色。一気にフラッシュバックした。

槇原君はほとんど聞いた事もない。だけど、このアルバムには私の大切なものや思い出がいっぱい入ってる。

私が持っておくより、何十倍も、何百倍も役に立って、色んないいミュージシャンに演奏してもらって、音を残して、たくさんの人に聞いてもらえて。あの子は幸せな楽器人生だったろうな。と。サイトにあったスタジオの写真にはフェンダーローズが真ん中に。

キューバにも、ルイシートのもとにギターを置いてきた。この人なら大切にしてくれるし、沢山いい音楽を奏でてくれると思ったから。あの子もきっとすごく幸せな楽器人生を送るんだよ。

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こんなに長いFacebookの投稿なのに、結構読んでくれたみたいで、多くの人が「いいね」を押してくれてた。

グレイディ・テイトとボブ・クランショウは、ジャズの超大御所のミュージシャン。彼らとの出会いや関係は不思議な奇跡のような事の連続だった。私にとっては大天使みたいな人達。私が音楽とのつながりをかろうじで持ち続けられたのは彼らのお陰で、私の心を支え続けてくれた人たち。数年前に二人とも亡くなった。

私が音楽で成功することを願ってくれて、「Seinaの為なら何でも協力するから心配するな」と言っていてくれたのに、私の心はジャズ歌手としての音楽ビジネスへの道に向くことは出来なかった。彼らも私が何がしたいのか解らなくて、もどかしかったと思う。

1993年当時には知らなかったグレイディとボブが、私の持っていたフェンダーローズと一枚のアルバムに入ってるというのが、畳み込まれた時間軸の中でずっと彼らと繋がっていた。そんなことを再度感じさせられ、不思議な気持ちになった。

グレイディとボブからの何かのメッセージのようにも感じたの。

だから、私がやりたかった音楽との関わりの形と私にしかできない音楽の形に挑戦しようと。それが私がグレイディやボブからからもらった宝を無駄にしないひとつの生き方なのかもしれない。

レコーディングスタジオ。キューピーダニー。ハポネソン。

また、頓挫したり、思うようにはならなかったりするとは思う。だけど一か八か心を決めて進んでみようと思う。

アロマの仕事をどうするか悩んだ。辞める事も考えた。殆ど腹を決めた。だけどそんな矢先、リンピアとアンジェリックのオーダーが入り、それを見つめながら、「これらのブレンドは私にしかできない」とも思った。

だから、辞めるのではなく、少し縮小させるような形でアロマの仕事を続けて行こうと思ってる。

仕事の打ち合わせやハポネソンのアルバム制作でキューバに年に2~3カ月程行く事になるかもしれない事を、許して欲しい。

スタジオのサイト作りや、そのサイトで日本向けの音楽関連のブログを書いていきたいのでこのブログの更新も減るかもしれない。

だけど、また見守っていて欲しい。

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写真は2000年ごろ。

左が、ボブ・クランショウで右がグレイディ・テイト(日本ではグラディと言われるけど、グレイディが正しいの)。