「落ちにくい口紅」を販売することにしたことをきっかけに、子供の頃の事、両親の仕事にかかわる事ををいろいろ思い出します。

父は、ピアノの先生でした。
両親は、私が生まれた年に商売を始めました。
ピアノだけでは二人の子供を食べさせていけないかったからだと思います。

私が生まれた年に北九州市の門司区という所に「門司健康食品センター」という商店を開店させました。
父は24歳くらい。母は5歳年上だから29歳くらい。

写真はお店のショーウインドー。「70」とあるので、1970年で私は1歳なのかな。

お店の広さは、12畳くらいかな。商店街の大通りに面した店で、最初は店の奥にある事務所のようなところで家族4人が暮らしてたような記憶です。

お店の前

そこには、グランドピアノがあり、私が幼稚園くらいまでは父はそこでピアノを教えていました。私と姉は、ピアノの下にもぐって遊ぶのが好きで、よく怒られていました。

店先には母が立っていたので、幼稚園の遠足とか、小学校の授業参観とかは父が来ることが多かったです。当事は男親でピアノが弾ける人とかってあまりいなかったからか、授業参観に来ると先生が「一曲弾いてくださいませんか」とリクエストしてて、暗譜しているのがベートーヴェンの月光らしく、いつもそれ弾いてたわ。だから月光を聴くと父を思い出すんだ。

父のピアノの発表会

お店では、自然派食品とかをいろいろ売っていました。
大豆で出来たミートの缶詰。醤油。食用油。みりん。出汁。酵素ドリンク。お菓子。石鹸。歯磨き。玄米。スパゲッティ、ドレッシング、マヨネーズ、押し麦・・・。圧力なべもあった。
数年前に、どこかのデパートに行ったとき、自然派の店があり、入ってみると子供の頃に売っていたものがいろいろあり、懐かしさと、「今も残っているような良い商品を両親は売っていたんだなぁ」と思いました。(写真の「大高酵素」も今もあるみたいです)

子供の頃はテレビCMで見るお菓子や食品が食べたくて仕方がありませんでした。お店に置いているお菓子ってなんかばばくさいものが多くて、子供の味覚に合わないんだ。

私が小学生の頃にチョコレートも出てきた(*´▽`*)
思い出すと、父が「これはカカオが多いんぞ」とか言ってた。「チョコ下ろしていい(食べていい)?」とよくねだっていました。でも、そのチョコ高かったので時々しか下ろしてくれなかったの。

ある時期からは生鮮食品も取り扱うようになり、お肉、パン、卵、低温殺菌牛乳、豆腐・・・。今思うと、無農薬のお米だったのだと思います。
精米機があって、それがガーガーうるさかった。お客さんは2キロとかせいぜい5キロくらいで買っていて、その都度精米をして、夕方取りに来てました。これも、今思うと、自然食を好む人にとって、すごく有り難い画期的なサービスだったんだと気づく。

最近、食べ物をいろいろ気遣うようになって、両親が何を売っていたのか思い出すと欲しいものがいっぱいあります。52年前のあの時代、まだ自然派食品を取り扱うお店はあまりなく、自然派食品を求める人にとってはありがたい店だったんだと思う。

あと、薬草を煎じた苦くて美味しくないドリンクがあって、それが当たったのか、小倉に別の店も出していました。
私が小学3年生くらいまでは商売がすごくうまく行っていたんだと思います。

幼稚園では寄付とかも結構していたらしく、それでクリスマスの劇で役もらっていたそうです(笑)。
その頃は、外食というと、庭のある高級料亭とかで魚の活き造りとかで、動く魚の骨の上に刺身が乗ってるの。
父はライオンズクラブに入っていて、毎年クリスマスパーティにはドレスを新調するの。

こんなドレス。

化粧品は、最初はシャクリーという、多分MLM系じゃないかな。洗剤とかがあって、そこのものを取り扱ってたと思う。その後に今回取り扱う事になった「落ちにくい口紅|ツートンカラー」のリカパピヨンというメーカーの化粧品をメインに置くようになった。

私が小学生の頃、商店街のスーパーの前に自然派食品のお店が出来て、客足が取られるようになったみたい。それで、徐々に食品を減らしていき、化粧品をメインにしていったのだと思う。

子供の頃に「ひっかけられたけの」と、時々耳にしてたんだけど、多分、取引相手に、騙されたり、利用されて逃げられたりなんじゃないかな。私が小学4年生の時、マンションを売って、賃貸マンションに引っ越したの。その頃に、父は何があっても家族を路頭に迷わせるわけにはいかないと、大型トラックの免許を取得しました。

マンションの下がスーパーマーケットで、私たちが両親が仕事で遅くなっても食べるものに困らないようにというのと、5歳下に弟がいたんだけど母方の祖母の家に預けることが多かったから、祖母の家に近いからでそこを選んだと思う。

「ひっかけられて」の借金とかあったみたいで、両親は必死で働いていたんだと思う。両親は帰りがいつも遅くて、小学生の頃は母が帰ってくるまでに買物をしておくの、で母が帰ってきたら一緒にご飯を作るの。魚の三枚おろしとか、イワシの刺身とかは子供の頃に覚えたの。

中学生になる頃には、夕飯づくりは私の仕事になった。姉はピアノをやっていたので、練習があるから姉の担当は洗濯だった。家計が大変だから、子供たちも家で助け合って働かなければいけないと仕事をあてがわれていて、学校の勉強が出来なくても家の仕事(私の場合はご飯づくり)が最も大事な事だったの。

友達の中でそんな事させられてるのは私くらいだったから、当時はとっても嫌だった。だけど私の経済観念とか、食事を作る事とかはこの時に身に付いたのだと思う。

私が中高生の頃が父がリカパピヨンで一番飛び回っていたころだと思う。あっちこっちに顧客を持っていたようでした。
うちは、卸業だったから、毎日「ツートン〇ケース」という声を聞いていました。
この口紅は一番の売れ筋だったの。

私が高校一年生の時に、家を建て、その賃貸マンションを出て、家を事務所にしたのね。その時はリカパピヨン一本での商売になっていました。私が高校卒業して就職したけど戻ってきたときは、1週間後に自動車学校に突っ込まれて、卒業と同時に新車を買ってくれてた。で、「ウチで働け」と言われて事務員さんに仕事教えてもらったりもしたけど、その後家出、20歳でニューヨークに逃亡。

一時帰国すると、いろいろ勉強してある化粧品会社に製造を依頼して「白石商事株式会社」の名前の入った化粧品を出してた。今思うと、長年、自然派化粧品を取り扱ってきた父の夢でもあったのかもしれません。

この写真は、一時帰国して高校時代の友人が遊びに来てくれた時ね。この頃はリカパピヨンもやってたけど、スピの仕事も多くなってた。

コロナ禍で口紅が塗れない中、ふと思い出したリカパピヨンの「落ちにくい口紅」
この数日、ずっと使ってみましたが、唇は荒れず、きれいな色を発色してくれます。

私の両親が自然派食品や、健康食品を取り扱ってきた経験の先に、長年取り扱ってきた中で一番良く売れたロングセラー商品。悪いものではないと思います。

今回、問い合わせをした際に快く対応してくださったリカパピヨン化成さんに感謝ですし、私たちを必死で育ててくれた両親、まっとうに商売をしてきたであろう両親の姿を知ることが出来ました。

クリスタライズのお客さまに、この口紅を気に入ってもらえると、天国の母も、もう会うことが出来ない父も、きっと喜んでくれると思います。

時々思うんです。
私に限らず、気が付けば、両親が歩んだ道、似たような道を歩いてしまっている。
私たちは何の因果の中に生きているのだろう、と。

何かの意味があり、大切な事を学んでるんじゃないかと。
スピ的に思います。

【落ちにくい口紅】ビューティールージュ ツートンカラー