今朝は起きぬけに悲しいメールが入っていた。

何で亡くなったのか死因は書いてなかったけど、2日に亡くなり、9日に葬儀だと。

彼は、あるNPOをやっていて、ニューヨークやルイジアナでジャズの伝承、教育や、ニューオリンズでのハリケーンの後、楽器をニューオリンズに贈ったり、

それ程親しい訳じゃないけど、突然の訃報で、気持ちが戸惑った。

さぁ。本題に。

生まれてきたのは「善」か「悪」か?

って、さっきトイレでふと思った。

私は「人の為」「世の中の為」という言葉が嫌いです。

「人の為になる事を」
「世の中のお役にたてる事を」

と、言われると、嫌になる。

その時の軸や、対象は自分じゃなく、世の中、社会、他人、周り。

私の13年前の全米の老人ホームに歌を贈るプロジェクトは
私がやりたかった事でもあったけど、どこかで「人の為」、良い人になる為、というのがあったと思う。
自分が生まれてきた事は「悪い」「迷惑な」事だと思ってた。
だから自分が生まれてきたのは間違いじゃないし、迷惑じゃないし、誰かの役に立つ、って自分に思わせたかったと思う。

だから私は壊れた。30代前半~40までは暗黒だった(笑)

昨日マイミクさんがくれたコメント。
「Seinaちゃんのチャレンジの数々に勇気づけられていたんだよ。 」

私はよく、「勇気を頂きました!」
と、コメントを頂く。

私は私らしく不器用に、自分の為に生きてるだけで、誰かの役に立ってるのかもしれない。

誰かを喜ばすために老人ホームに行きたいんじゃなくて、私がそこに行って、私が大好きな歌を聴いてきた本当のオーディエンスと時間や歌、想い出をシェアしたい。

「私」がしたいの。

それで同時に、誰かが喜ぶ。

そのままの自分で生きている事で、自分の生は「生まれて来て善かった命」なんだと、私を含めみんなそうなんだと思う。

感情や思考にいろんな否定的なものが蓄積されてたら、歪むし、色んな悪影響もあると思う。
私がそうだったから。

みんな、産れて来て、善かった命で、
みんな、生まれてくる事を自分で決めて生まれてきた命だと思うんだ。