「誰かの役に立ちたい」という生き方。

「誰かの役に立ちたい」という生き方。

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エッセイ


先日お客様から頂いたメールに、彼女の愛犬の事が書かれていました。人さまのお話だから、超簡潔に、要点だけ言うと、

4歳の時に保護し、今は診療所でセラピー犬をしているそう。「お仕事だよ」というと、満面の笑顔で張り切って走ってくるそうです。

その犬の話を読んで、なんか、切なくなってね。

人も、犬も、誰からに捨てられたり、不要だとされたり、尊重されない扱いを受けると、誰かの役に立つことで救われるのかも。と。

私は、世の為、人の為、人の役にたちたい、とか、思わない。厳密には思わなくなった。

私も、まぁ、どちらかと言えば、気の毒といえば、気の毒な幼少時だったと思う。親に捨てられたとか、激しい虐待にあったとかじゃないけど、自尊心が砕けるような事多かった。親や姉、あとは、学校でも。

そんな、私は、自分が生まれてきたことが、世の中の迷惑だと思ってたの。自分なんか、生まれてこないほうが良かったって思ってた。小学生のころから、死にたい、とは、何度も思った、けど、ワタシ、痛いのとか肉体的に苦しいのとか超苦手だから、生まれてきた事への究極の否定的行動の自殺は出来なかった。でも、よく思ってた、一日も早く自分の寿命が終わってくれたらいいな~。それまでは、仕方ないから生きないと。って。

だから、私は、私としては、結構頑張って、自分殺して、生きてきたり。でも、意志が弱いから、自分がうっかり出ちゃうのね。そしたら、また、否定されたり、そしたら、自分守るために頑固になったり、人とぶつかったりするから、大変だった。ほんとは、ビクビクしながら生きていたんだよ。そうは見えないと、昔からの友達にも、よく言われるけど。

こんなに、不要な、迷惑な産物が、生きている事が、申し訳ないのと、悔しいの、とで、生き方を模索していたと思う。人から認められたいと思っていたし、正義感もやたら強かった。

自分の生を、肯定したかったんだと思う。

その為に、一般的に、人々が「よい」とする、事もやってきたと思う。でも、そうしたらそうしたで、人々が「すばらしい」とか、何とか言うと、それもうざかったし、何かがおかしいと思いながら、自分が崩れてしまった。

あの頃の私は、自分の生が、間違ったものでは無いと、自分にも周りにも証明したかった。んだと思う。

認められたり、私が「正しい」、とされると、嬉しかったし、安心してた。

私が、変わったのって、いつからだろう。。。
変わった理由のいくつかは、ミクシィや、ブログを通じて、自分なりに考えて不器用にぶつかりながら、出来るだけ自分に正直に生きようとしている私、を感じてくれたのか、そんな私から、勇気をもらう、とか、ありがとうございます、とか、メッセージをもらう事があったの。

それとか、音楽を通じで、私の想いが強すぎて、溢れちゃって、やってしまった行動とかが、結果として誰かをとても喜ばせてたり。

もしかして、人の為とか、誰かの為に役に立ちたいとか、認められたいとかって、目的にするとおかしなことになるんじゃないかな、って思ったの。本気で、人の為とか、誰かの為とかって、自己犠牲とか、すんごい強さが要るんじゃないかな。って。

あなたは、そのままで、いいんです。生まれてきた事が間違いな人は一人もいません。

とかって、よくいうけど、自分の中の歪みや歪みの原因に自分が気づいて、しっかり理解していないと、心理の奥底に自分の存在に対する否定的な感情が残っていたら、ただの慰めの言葉でしかないというか。

その言葉でとりあえず、慰められる段階の人は、誰かの役に立つ事、人の為になる事、に、向かう事、そう生きる事、はとても効果的な、有効な、考えだと思う。

その犬(彼女)は、保護され、飼われて、餌を与えてもらい、野生に出て一人(一匹)で生きていく必要はない。傷ついてきた過去をもつ彼女は、セラピー犬として役に立つ事が、彼女の幸せや安心、生きがいにもなると思う。

でも、私たち、「大人の人間」は、もう一つ先を目指せるんだと思うの。自分自身や、過去を見つめ、自分の中の痛みや傷を見つめ、自分の中の歪みを見つめ、自分と自分の過去、関わってきた人達のさまざまな事情を理解し、自分を癒し、自分の生を肯定的に思う。そして、自分を生きる。

人の為に生きる、人の役に立つ、生き方は、その次に目指すといいんじゃないかな。と思う。その生き方には、自己犠牲とすんごい強さが必要だと思うから。

これ、私の考えだけど(このブログの殆どは、私の考えっすが)、これは、今の時代の日本での生き方に対する一つの考え方で、昔の人の事は引き合いに出してほしくないのね。

というのは、耐えて、我慢して、頑張った人たちがいたから、私たちの「今」という時代があるけど、今の「私たち世代の時代」で生き方に迷っている多くの人の幼少時や過去を見ると頑張ってきたご両親や、そのご両親(祖父母)が、耐えて、我慢して、頑張らなくてはいけなかった時代に、自分を殺してきた事でできてしまった歪みを子供たちに与えてきたために生じている問題が多い気がするの。

だから、私の考える生きた方は、日本の、今の時代の私たち世代だから考える事が出来る、ひとつの生き方や考え方なのかもしれない。

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