近年、そんなことを考える。
気をつけてる。
「善いこと、正しいことをしている」と思ってないか。
昔は、ほんと、結構そう思ってたというか、そういうことをしないと価値がないとか思ってた。
でも、それって、弱さとか、そういうのな気がするの。
「善いこと」「正しいこと」「正義」
それは、自分を守ったり、正当化するための盾のような。
自分の弱さや視野の狭さでもあると思うんだ。
そして、その弱さや視野の狭さから出てきた正当性は、自分の考えと違う者を自動的に「正しくないもの」にしてしまう。
最近は、自分の中の正当性が出てきたら、ちょっと戒めたり。自分のトリガーになる人達との付き合いから距離を取ったりして気をつけてる。でも、うっかりやっちゃうね。
スピリチュアル系な人たちは、そういうのやっちゃう人が多いと感じるし、あと、教える立場にある人とか、そういう人たちこそ、そうあってはいけないんだとは思うけど、人間に生まれてきている以上、多分みんな、そんなもの。
誰かを変えることは難しい。ほぼ無理。だって自分が変わることすらすごく難しいから。
だから、他人がどうであれ、自分が「善いこと、正しいことをしている」と思ったら、そこで、終わり。というか、自分がヤバい状態だと気づきたい。
正当性をぶつけてくる人は、たぶん、ちょっと、弱い人とか、傷ついた人なんじゃないかと思う。で、そういう人を受け止める度量がないのなら、距離を持ったほうがいいのだとも思う。そうしないと、相手の正しさと、私の中の正しさが違ったら、対立が起きたり、相手を否定してしまったり。
違う相手を尊重できたらいいんだけど、正しさをぶつけられたり、それがちょっと攻撃っぽくなったら、こっちも守りの体制で戦ってしまう。戦わなかったとしても、嫌な気持ちになる。
傷ついた人は、自分の傷の痛みを守るために他者を傷つけるからね。
私も何も偉そうなことは言えない。
私もそんな人だったと思うから。
今もそんなところがちょっとあるかもしれない。
だから気をつけてるんだと思う。
人間なんだから、仕方ないんだとも思う。