最近、また、ちょっとスピリチュアルに関することをいろいろ調べていました。1〜2年に一度、そういう時期があるの。

スピリチュアルの事で、完璧とか、全く正しいとかは、よくわからない。そんなこと、言う人、断言する人がいれば...多分信じないほうがいいとは思う。

たぶんね、だって、そういう人は、生まれてこなくてもいいんじゃないかと。

何かと繋がっているという人も、怪しい場合も多いと思うの。

すごく高次元の存在と繋がっていると言っている人ほど、怪しいというか、危ない気がする。そんなことを言う人に、そういう高次の存在が来るかというと、かなり怪しいと思うの。

多分だけど、多くの場合は、あまり高くないものと繋がっていて、その存在が自分が高次の存在だと言っているから、それを信じているということもあると思う。これは、私も過去にいろいろあった。色々問うてみると、其の内おかしな事を言い出すの。

 

目に見える、人間付き合いでも、本当に信じられる人を見極めるってすごく難しいでしょ。

例えば、いい大学出てるとか、いい会社に努めてるとか、学校の先生だとか、そういうラベルでは分からないし、かえってがっかりしたり、もちろん利用されたり、マウント取られたり、色々あるでしょ。

そういうのに似てて、見えない存在が話しかけたからって、その存在がどんな者かを見極めるのってすごく難しいと思う。

色んな人と付き合って、痛い目にあったりして、経験を重ねて、付き合う人を選んでいく。そういうときに、いちばん大事なのは「自分」だと思うの。

 

自分はどう感じてるのか。

相手に期待していたりとか、依存をしてないか。

誰かがいい人というから、それを鵜呑みにしていないか。

「いい人」って曖昧な言葉は気をつけたほうがいいと思う。100%いい人っていないと思う。いろんな凸凹があって、自分にとってその人と波長が合うかなんて、他人の言っていることとは全く当てにならない。

 

で、結局、いちばん大事なこと。最も最初というか、基本的なことは「自分自身」と繋がる、ってことだと思う。

「自分自身と繋がる」というのは、自分と向き合って、いいと思うとこも、嫌だと思うところも、理解して受け入れていくこと。また、その要因になっていること。多くの場合は親との関係とか、育った環境とか、「宿命」と言われるものを理解して受け入れること。

この作業ができてないと、コンプレックスや歪を見ないようにとか、周りに対しても隠しながら生きていく。どんどん、自分から離れていく。

こういう人たちが、スピリチュアルリーダーとかヒーラー、ライトワーカーと自称するケースは少なくない気がするの。

自分を受け入れて、自分と繋がって、そのままの自分でいいのだとわかったら、スピリチュアルとかの能力みたいなのって、どうでも良くなると思う。「スピリチュアルリーダー」とか言わなくても、そんなラベル付けなくても、そのままでいいのだから。

そうなると、自分が抱えている問題から取り組まなくちゃって、一歩一歩歩く。そうやっていると、変な存在と繋がりにくくなると思うの。

 

で、自分自身と繋がる、その次に繋がるのが主護霊と言われる、いろいろいる守護霊の中でも生まれて死ぬまでずっとサポートをしてくれてる存在と、自然につながると思うの。

自分の中のコンプレックスや歪としっかり向き合って、解かないと、繋がったものを冷静に見極められないと思う。

ほんとに、見えない存在って無数にいて、自分の主護霊を見極めるのも簡単じゃない。

 

どこかの、ヒーラーとか、スピリチュアルリーダーとか自称している人が、「あなたの守護霊は・・・」とか言ったら、鵜呑みにするんではなく、それを自分で検証していく必要があるの。それは、自分自身としっかり繋がってないと見極められないし、それには何年もかかる。友達との信頼関係を築くのに、何年どころか、何十年ってかかるでしょ。

そしてね、その主護霊はすべてが分かっている神のような存在でもないし、ただ自分より見えない世界を理解している存在であって、二人三脚で一緒に歩んでるんじゃないかって感じるの。一緒に学び合っているというか。完璧で、完全な存在じゃないの。

で、最も最初の、基本的なこと。自分自身を受け入れるまでの作業。それが感情開放の作業だと思う。これができてないと、おかしなスピリチュアルにのめり込んでしまったり、勘違いしたり、妙なマウント的になったりするんだと思う。

 

あと、多分だけど、自分が生きていくのにどれくらいのものやお金が必要か、ということをしっかりわかってないと、踏み外すというか、資本主義の価値観のようなもの、目に見える価値のありそうなものって、きりがなく、多分平民的な私達にとってはどこまでも先があると思う。

何も問題が無かったらスピ業界に来ないと思う。そういう人の多くが「答え」をすぐに欲しがったりするけど、たぶんだけど、「プロセス」が大事なんだと思うんだ。問題集とかドリルを解くときに、回答を見ても理解してないと意味が無いような感じ。

 

自分自身を受け入れ、繋がったら、そこから、「自分」にとっての必要なこと、価値のあるものを模索していく。はっきり解るのではなく、「模索」しながら一歩一歩生きていくんだと思う。

方向、生まれてきた理由のようなものは、みんな一人ひとり違うと思う。だから、誰とも比べられない。

 

目に見えない存在と繋がる前に、自分自身と繋がる。


写真は小カブの花だよ。