何者かになる必要があるのか

先日、ある人と電話で長話をした後、そんな事を考えてた。
彼女は、数年前に感情解放を申し込んでくださった方で、その後の生き方の観点は、変わった。

感情解放を行うと、「行う」というより、感情解放コースを乗り越えると、生き方の観点が変わる。「乗り越える」というのは、乗り越えられない人もいる。乗り越えるために、私も必死に向き合う。だけど、やっぱりどうしても自分自身と向き合えない人もる。自分自身から逃げるというか。

感情解放コースを乗り越えられたら、何かを得られるとか、能力が開発されるとか、そういうのはない。

ただ、「ゼロ」地点になる。
その「ゼロ地点」はその時点での自分や生まれ育った環境、「宿命」を受け入れるということ。自分の人生に責任を持つと、「腹をくくる」こと。

この感覚は感情解放で乗り越えられた人しか、わからないとも思う。

ネットや、周り、社会を見ていると、「誰かのせい」にする人は少なくないと思う。最近、色々本を読んでて、江原啓之さんの本も読んだんだけど、彼もそのことをよく書いてる。彼はその事を「依存心」という。多分、その部分を越えさせる、成長させることの難しさを痛感していたのかもしれない。彼はイギリスと日本の(亡くなった人の)霊との比較で、特に日本はそういう霊が多いと。

亡くなった人が残した、想い、想念・・・それは感情。
生きていた頃からの感情を解消できないから、その辺にいたりする。

生きている人たちも、死んだ人たちも、感情をどう解放できているかで、肉体としても、肉体が亡くなったとしても、同じような感じ。

日本では誰かのせいにする人たちが多いとは感じる。それは「依存」なんだけど、そういう人たちは、自分がそうだとは気づいていない。多分他人にはずごく言われたくないことだから、見て見ぬふりをして、離れる・・・。言った所で気づいて、変われる人はいない。気付いたとしても、そう簡単に変われない。

「依存」と「憑依」はとても近い関係にあると思う。「憑依」は亡くなった人の「依存」からくるもので、「依存」のある人に憑依する。同じ波長、チャンネルで繋がる。依存心がなくなると、憑依は激減する。

前世がどうとか、スピリチュアルがどうとか、サイキックがどうとか、そういう見えない世界の問題ではなく、「その人」、その人間の、問題というか、それより「課題」なんだとおもう。もちろん、その課題に取り組まなくてもいい。それは、その人の自由意志。

だけど、その「課題」を越えないと、自分が見えない。
多くの人が、他人や社会といった自分の外側に、軸や価値基準をおいている。

私のやってた感情解放コースは、その軸を自分に置く、その感覚を得るための作業だったりする。

そこを乗り越えたら、ゼロ地点の感覚が得られる。
プラスでもマイナスでもなく、ゼロ。

冒頭に出てきた女性。
彼女は50歳を回ったそうだ。
感情解放コースを受けてくれたのは、5年くらい前だっけか。彼女は40代後半で受けたということになる。

多分、そこで、初めて、自分の生まれ育った環境(宿命)を受け入れて、自分の軸を感じ始めた。

電話で彼女は、何者かになろうとしている自分があって、焦っていると言った。

私は、「もう50年もそうやって生きてきて、ある程度パターンを持っていると思うから、あるものに感謝して・・・。あるものに気づく。それが当たり前じゃないと気づけたときに、有り難いとなる」といった。

それから数日間考えてた。

人は、頭で理解しても、経験しないことは納得しない。
それは、魂もそうだと思う。というか、魂こそそうなんだと思う。

50歳を過ぎると、体力と気力がかなり落ちると、自分で感じてる。それでも、本当にやりたいことがあれば、進むしかない。それを、自問自答している日々・・・な、私。

50歳を過ぎた人には私の行う感情解放コースをあまり勧めない。それは、体力と気力が落ちるし、更年期以降は体も大きく変わり、肉体的にもオイルをあんなにたくさん使うのにはリスクもあると思う。それと、ゼロ地点になれてから、そこから自分の軸、自分の選択、自分の価値観で選んだことを「経験」していく。この「経験していく」ことがとてもとても大事な作業なんだ。その「経験」で、今までと違う「経験」をして、人生、魂、心に刻み込んでいく。

頭で解ったつもりになっているものは、多分、何一つ、人生、魂、心に刻めないんだ。

そして、「経験をする」というのは、肉体を使うことでもあり、それは自分の細胞を使うことで、年齢とともに、そういったものは衰える。そうすると、体力や気力がやりたい事に追いつかない。

だけど、人は経験しないと納得ができない。

お金持ちになりたい。
いい大学に入りたい。
いい役職がほしい。
多くの人に認められたい。
車がほしい、家がほしい、そんなことすら、持ってみないとわからない事が多い。

持ってみたら、それが自分に必要だったか。
それは自分の心を満たしてくれたか、豊かにしたか。

持ってみないと、わからない。
何者かになりたいのだったら、そういう気持ちがあるのなら、やってみたほうがいい。
やってみて、「あ、ちがった」って気づけば、それで終わる。もちろん、満足できるかもしれない。

彼女が何をしたいのかは、知らない。
だけど、焦ってしまう気持ちがあるのなら、何がしたいのか自分と話し合い、やってみてほしい。それでも、リスクを考えて「やらない」と納得して決めたのだったら、それがいいと思う。自分と話し合って、「納得」したのだったら。

感情解放や、亡くなった人たちを成仏させるときに最も大事なことは「納得」なんだと思うんだ。

他人がなんて言おうが、自分が納得しない限り終わらない。
それには、リスクがあって、結果痛い目に合うこともあるかもしれない。
そうやって、事柄や自分自身に対して「納得」していくのだと思う。

そして、自分自身を受け入れて。何者かになるよりも、自分で居る事を選ぶのかもしれない。

50歳を過ぎると、そう簡単に生き方は変わらないと思う。
今までの過去のやり方、パターンの中でそれまで生きているのだから。

私の感情解放は、50歳を過ぎると難しい。
かといって、30代では、日本の30代はおとなになる準備ができてない人が多い。日本の社会を見ると、仕方ないとも思う。それで、40代でおとなになってない人は多い。そのまま50代、60代になって、婆さんになって死んでいく人も多い。

多分、そういう人たちが、想いを残して上の霊界に行けないんだと思う。

そういう人たちは、納得できなかったことがあったのだと思う。納得できないから、その人の経験値では答えが出ないから、逃げるように、誰かのせいにするのかもしれない。

おとなは、自分に責任を持って、誰かのせいにしない。
誰かのせいにしない人生を歩んでほしい。