私はジャンクフードや便利で合理的なものが好きでした。
先日、こんなことを書いていたのですが。『自然食|結局親や祖父母と似たようなことをしてる。 』。私の祖母は、自然食とかすごく気を使ってて、庭の横に畑を作って、野菜を作ったり、ヨモギ餅作ってくれたり、でも、60代で脳溢血して、亡くなったのは72~74歳くらいだったと思う。
だから、自然食とか食べても長生きするわけじゃないんだとか。だから、全く気にしてなかった。
こんな暮らしを始めて、野菜を作りだして。なんでこんな事になったのか、ほんと、自分でもよくわからないんです。そんな流れを感じたというか。風がそう吹いたというか。
2月の終わりごろから、人参を一回買っただけで、あとは、野菜の自給がてきている。追っかけられるように野菜を食べてて、ふと、栄養価が違うって感じだしたの。体の調子が変わって来たの。
で、この前、Youtubeでなんかの動画を見ていたら、野菜や動物の肉から「生命エネルギー」をもらってると。で、冷蔵庫に入れたら「生命エネルギー」が落ちると。
ちょっと試しに、数日、野菜をその日に食べる分だけ収穫して、冷蔵庫に入れないようにしてみたの。多分だけど、生きてる。植物の命を生きたまま頂いてる。そう感じた。
だけど、実は翌日、なんでか動けなくて、一日寝てた。
もしかして・・・植物、野菜の生命エネルギーって、けっこうすごいんじゃないかと。この植物の、生命エネルギーって何だろうって調べてたら、アーユルヴェーダでは生命エネルギーを「プラーナ」といって、調理して何時間以内に食べないとプラーナが死滅しちゃうとか。
よくよく考えてみると、生きている、生命エネルギーのあるものを食べる事って殆どない。って気づいたの。
結構、手作りしてるものは多い。添加物も結構少ない暮らしだけど、「生命エネルギー」の事を考えたことが無かった。
命を頂いているんだけど、今まで食べていたものは、仮死状態とか、死んでたりとかだったのかもと。殺してから食べるんじゃなくて、生きているうちに命のエネルギーをいただく。
多分、もともとは、昔々は、冷蔵庫とかなかったころは、当たり前だったんだとも思う。そうそう、あと、あるインド人のグルみたいな人のサイトには、その土地で出来たものを食べなさいとも書いてた。菜食を勧めてた。
生きている野菜の生命エネルギーを頂くのだったら、お肉無くてもいいのかもとか、思ったりもした。
この食生活での、感じ。言葉では何も伝わらないと思うんだ。だって、私自身が、誰がいろんなこと言っても、実感できてなかったから、全く解らなかった。
結局、野菜を自分で作らない限り、それも、多分だけど、出来れば自然な農法で。となると、暮らしていく、生きていく、優先順位を考え直して暮らしを変えないととても難しいとは思う。
当たり前が当たり前じゃないというか。それが、今の時代で、多分、資本主義とか、経済とか、そういうのが軸になっている世界では、人間が自然の中の循環の一部として生きている「当たり前」は当たり前じゃなくて、変わった、特殊な生き方に近い気がする。
写真はカーボロネロというイタリアの野菜の菜花。蜂が来て、あっちこっち止まってウロウロするの。「受粉してくれてるなぁ」って眺めてると、なんかね、幸せ感じるんですよ。