先日、カルマ講習会というのをやった。4人の枠にしてたけど、週末、平日どちらも二人ずつのお申し込みだった。

結果、二人で良かった。

カルマに関することは、それぞれの人生のテーマが違うし、心のもっと奥にあるテーマ。

魂のテーマ。

良かった点、難しかった点、色々あった。

どちらも2時間からはみ出した。

納得できなかった場合もあったと思う。だけど、簡単に頭でわかることじゃないと思うの。もう、散々、みんな、カルマに関しては本などからの「知識」はある、はず。だけど、知識があっても、頭で理解をしても、経験を伴わない限り、解けないような気がする。「気」ではなく、そうなんだと思う。

感情解放のプログラムでも、コースの序盤では多くの場合、頭で理解をしようとする。多くの場合、首あたりで止まってるの。多分色々、傷ついた経験があって、心まで通さないことで傷つかないように、とか。

でも、多くの場合、何十年も、自分の感情を抑えたり殺したりしてきた場合は、そこで止めていることすら本人は気づかない。

人生で子供がいる人と、いない人。

どちらが正しいとか、おかしいとかは全くなく、それぞれの人生のテーマはみんな違う。子供がいても、みんな違う。だけど、今回も感じたのは、子供はその親を選んでいるし、親は子供から気付きを得る、学びのようなものが必ずあるようにも感じた。

二人三脚。どちらが上でもなく、下でもなく、互いに影響しあって、気づいて、学びあう。

だけど、親は子供を、対等に見ることは難しいのかもしれない。わたしは子供がいないからなんとも言えない。でも、少なくとも、わたしの父は、わたしが父の理解の範疇にいる事を好んだ、というより、無意識にコントロールしようとしていたと思う。

カルマのことは、他人がなんとか言っても、本人が気づかないない限り、解くことが始まらないような気がする。気づきのきっかけ、鍵になるのは、自分が自分の心と深く向かい合い、自分の心の声に気づき、自分の心に寄り添って歩けるようになることだと、思う。

でも、周りに合わせたり、周りの価値基準、外の軸。

認められることが、社会では一つの価値基準になってるというか、そうさせてる。で、そこには、なんらかの競走をしてしまうことが仕組まれてるというか。

そうなると、自分をなかなか受け入れられないし、比べることで自分を知ろうとする。

比べることでは、自分を知ることはできないけど、そういう仕組みを意識の中に作られてる。

その仕組みを無意識に信じ込んでしまってる人は、魂と、心と、その人の顕在意識で乖離が起こってる。

だからって、誰かが指摘しても、本人が自分で気づかない限り、解けない。

それが、カルマだったりする。

それと・・・自分を受け入れられたぶん、子供のことを受け入れられるんじゃないかと、思う。

「思う」じゃなくて、そうだと、まぁ、断言できる・・・。

だから、自分と向き合い、自分を知り、自分を受け入れることが、始まりなんだと思う。

 


カルマ講習会

8月も週末と平日で一回ずつセッティングします。

8月24日(日)

8月25日(月)

定員は各回、二人まで。10じ

下記のページからお申し込みください。

折り返しご連絡します。

カルマ講習会