また歴史没入シリーズが始まった、かも。

2011年くらいから、キューバが終わるまでが、太平洋戦争前後の歴史だった。今度は、もしかしたら、明治維新が始まるかも。

多分だけど、現代の、私たち世代。その辺の人たちにすごく、深く影響をしているのが、太平洋戦争(大東亜戦争)と、明治維新かもと。

なんで、突然、わたしったら、明治維新になったのか、なんだけど、ここ下関で平家のことを追っていて、なんか繋がってしまったのよ。

歴史にあまり関心がない人たちは、なんでそんなことやってるのって、思う人たちも、いると思う。だけど、歴史を知ることは、自分を知ることに繋がる。繋がるというより、すごく大事な鍵になる。

私が説く感情解放は、「理解したら手放せる」。理解は「ワカル」ということ。解ると解ける(ホドケル)。

スピリチュアルでよく言われるのが、自分の魂が、この時代、この場所、この家族を選んで生まれるとか。そこに、自分の魂に必要な経験や学びがあるとか。

それは、誰かと比べられるものではなく、その人の魂だけのプランというかね。

感情解放でやることは、前世とか、宇宙がどうとかじゃなく、この今の生、生まれてから今までのことを解いていく。そこには、親や、お祖父さんお祖母さん、必要であればその先まで解くこともある。

それは、自分の家族、ダイレクトに繋がる血の歴史を知っていくこと。その過程で、自分を知っていき、自分の血にまつわる歴史を知り、理解納得し、自分の魂と自分の心や肉体が合わさっていく作業だったりする。

私はそこが一丁目一番地と言ってる。

ここが整うと、理解できると、いろんなことを理解する能力というか、筋力のようなものが身についていくの。

私は、自分の感情解放がある程度できた時に、日本人としての感情解放、自分の中の傷付いた「日本人」に気づいていく。それを解く一つの方向が、太平洋戦争前後の歴史を知るというか、没入していった。

で、「自分の中の傷ついた日本人」に気づき、歴史に入っていくと、いろんなことに気づくの。どうして自分は、こんな思考を持っているのか。どうして、意味わからなかったけど傷ついている、歪んでいるのか。

それと大事なことは、私が傷つく要因になった人たち側の人たちの事情も考えたりする。どうして、これが大事なのかというと、相手にもいろんな事情があったことを理解することで、単純に善と悪、正しい、間違えといった二元性を作りにくくするの。

これも、自分自身の感情解放のワークをしているときに、基盤を身につけていくのね。これがないと、自分を被害者として、相手を悪者としてしまったりするの。ここが、できてないと、なんというか、魂の成長みたいな方向に行けず、拗らせていく。

ここ、下関は、明治維新ではとっても重要な場所。長州。今の政治も繋がってる。

全く、気にも留めなかった、興味がなかった明治維新。なんだけど、今、「あれ?」の連続。明治維新には興味なくても、平家のことでつながってしまったのよ。どうして、平家のことでそこにつながってしまったのかは、思いもよらない感じだった。その角度は一般的じゃないから、説明しても理解しにくいと思う。直感で気づいた、というのかもしれない。でも私としては、直感というより、そういう私の周りの流れなんだな、と。

社会がおかしい、政治がおかしい、政治家がおかしい・・・

政治のせい。政治家のせい。という以前に、その仕組みがどうしてできているのか、どうして変えられないのか。それが自分にどう影響しているのか。

それって、結構深くて、複雑だったりする。いろんなことが絡んでる。

私たちが学んだというか、「教えられた」歴史は、造られてたりする。で、それを社会や、世界で、教え伝えられて、通念になっていたりする。特に、何かの圧力があるかで、日本国内では心の深く、思考の深くに基盤を造ってくれてたりする。

それを解かないと、拗れたままだと、感情や思考に大きく影響をする。

歴史を、「学ぶ」「教えてもらう」のではなく・・・「感じる」ことが大事なのかもしれない。感じる為には、理性とか、常識をちょっと追い払っておかないと、感じることが難しい。

そうだね。

歴史は、学ぶ、教えてもらう、ことではなく、感じて、自分のフィルターでそれを感じ、処理していく。理解していく。解いていく。

それは、誰かのためとかじゃなく、自分のため。傷ついていたり、拗れている自分を解く為。

誰が悪いわけじゃなく、自分が被害者とかじゃなく、この時代、この場所、その家族を選んで生まれてきてる。その選択は、自分の魂がしている、はずだから。

その中で、日本人としての自分を解く一つの節目が、太平洋戦争で、またもう一つが明治維新なんだと思う。その先にもまだまだあるけど、近いところからの方ややりやすいというか、多分そうやるのが自分から離れないと思う。

自分から離れるというのは、気をつけないと、自分以外の誰かのせいにしてしまうからね。

そういえば、数年前に感情解放を受けてくださった方の妹さんと先日話す機会があった。感情解放を受けてから、お姉さんが誰かのせいにすることがなくなったと、言っていた。

とても、とても、嬉しかった。この仕事をやってよかったと、心から思う。

以前、10年くらい前に、あるお客様に訊かれた。幸せになれる人と、なれない人の違いはなんですか?と。何日も考えた。「誰かのせいにする人は、幸せになれない」と答えた。自分の人生を、自分の魂が選んだはずの人生を受け入れ、自分に責任を持つこと。

今も、そうだと思う。あの時に、この質問を投げかけて貰えたおかげで、すごく考えた。考えないと、出ない答えというか、考えることで、濾過して、クリスタライズしてるのかも、と今思った。

みんなみんな、幸せになってほしい。

それは、ものが与えてくれるのではなく、誰かが与えてくれるのではなく、自分が自分の魂が選んだ人生を受け入れる事から始まるのだと思う。

その、幾重にもある、段階のような、層のようなもの、その一つが、重なっている、歴史なのかもしれない。

歴史は、感じるもの。

感じる為のフィルターをできるだけクリアにしておく。

真実って、常識は知識といった、理性の向こうにあるのかもしれない。