日清講和会議って、なんなの?

知らない。

興味もない。

だから何?

と思っていた私。

数年前に、赤間神宮に行ったついでに、隣にある日清講和記念館に、行ってみた。

その日、記念館を見に来ていた人に声をかけた。韓国からのご夫婦で、2人もと英語が話せた。「ここは私たち韓国人にとってはとても大切な場所なんです」と言った。

その時初めて、日清戦争、そのころは、中国の中に朝鮮があって、その戦争で日本が勝って、その朝鮮を日本が統治することになったのだと理解した。

日清講和記念館は、赤間神宮→阿弥陀寺陵→春帆楼があって、その春帆楼の敷地にある。

阿弥陀寺陵というのは、安徳天皇の御陵。この一帯は、元々は、阿弥陀寺だったそうだ。

この前の土曜日。私ったら、お能の装束のワークショップの日程を間違えて、亀山八幡宮に行ってしまった。ら、違って、折角だから、安徳天皇の御陵と、日清講和記念館に行ってみた。

伊藤博文には興味なかったから、銅像があるな、くらいで見向きもしなかったけど、その数日前に、伊藤博文って一体何者?ってちょっと考えたから、その銅像を繁々とみてみた。

左が伊藤博文で、右は陸奥宗光という人で、当時の外務大臣で、日清講和会議で重要な役割の人だったみたい。

フィデルカストロは、自分の像を建てるなと言ってたらしい。

東洋人の旅行者・・・中国人かしら・・・?

高齢なおじいさんとおばあさんを連れて、いた。お婆さんは、車椅子だった。

そんなに歳取っても、海外旅行するって、すごいな・・・。私は、56歳だけど、もう海外旅行しんどいから行きたくないなと思い始めてる。

「すいません、英語話せますか」と、1人の女性に話しかけてみた。

英語話せないらしく、スマホを取り出して、ここに言ってとジェスチャーをした。

「あの人(おばあさん)はおいくつですか?」

彼女は、おばあさんに歳を聞きにいって、「81歳」とスマホに打った。

「どこから来たのですか?中国ですか?」

「台湾」

「ここは(日清講和会館)は、中国や韓国の人たちにとってとても大切な場所だと聞きます」

「そうです。ここは私たちにとってとても大切な場所です」

私は、自分の国の歴史すらよく知らない。ましてや、教えられてる歴史は、なんだかおかしいと、感じる。

10数年前に、トランジットでハワイに一泊した。その時に、戦艦ミズーリに行った。戦艦ミズーリは、降伏文書の調印が行われた場所。そんなことも知らずに、行ったんだけど、その場所に立ってみると、いろんなことを感じたり、気づいたりした。ちょっと、なんというか、屈辱的な感じも感じたり・・・。

私たち、戦後の日本人にはとても大切な場所だと思う。

日清講和記念館に行くと、いつも東洋人、多分、中国、台湾、韓国の人たちが来ている。

今更、明治維新って・・・なんだったの?と、腑に落ちないなとか。思ってる私。

明治政府ってなんだったんだろう。

伊藤博文もちょっと知っていくと、なんともいえない。

車椅子になっても、ここまで来る。きっと大切な場所で、腑に落ちない、何かがあって、来るのかもしれない。

彼らも本当の歴史や、思惑、仕組み、を知らないのかもしれない。

私も知らない。