やっぱり、ショックを受けてない事はないようで、朝起きると、妙な気分になる。

嘘の世界・・・というか。

明治維新のことを調べていくうちに、明治政府は、教育の仕組みを作っていく。学校とか、大学とか。それらの大学は今もあって、レベルが高いとされている。

学校で、何を教わったのか、習ったのか。

10年ほど前に、読み書きと算数ができたら、それだけで十分というか、ありがたい教育だと思った時期があった。

それは、読み書き、算数が出来ない人たち、そういう教育を受けてない人たちが世界には結構いるのだと知ったから。

読み書き算数ができたら、自分で情報を探して得ることが出来るし書くことができれば伝えることもできる。

それだけで十分じゃないかと。

私は、ほんとに、ひどいほどに、勉強ができなかったというか、しない子だった。学校の勉強や宿題をしていた自分のシーンを思い出すと、幻というか、虚というか・・・。そこに、私の熱意とか、夢とか、なかった。なんでやってるのかもわからなかった。

授業の半分。。。いや、7割は、寝てたか、頭がぼーっとしてた。

特に歴史はほとんど覚えてない。大化の改新も、平城京も、平安京も、何がどの順番でどの数字(年)で、何があったのか、覚える気もなかった。

今は、それでよかったと。。。ほんとに思ってる。

それが正しいと信じて覚えていたら、今、もっとショックが大きいと思う。信じていたものが違ったと。洗脳されてる間は気づかない。

学校の教師達は、嘘というか、教えてることに気づいているのか気づいてないのか。気づいていても、知らないふりをしないと生きていけない「社会」があるのだと思う。

それは、学校だけではなく、消費や経済の社会でも、本当に良いもの、信頼できるものを売っているわけじゃない。

コンビニのおにぎりを作る人は、自分は食べないとか。

農家さんは、自分が食べる野菜は別に作るとか。

そんなことを聞く。

今、比較的自然素材の多いこの古民家で暮らしていて、化学物質が心や体に良くないと気づく。

薬や医療も・・・

音楽もほとんど聴かなくなった。聴けなくなった。自分の中の何かの波長とずれて、吐き気がするの。でもね、しばらく聞いていると慣れるんだよ。不思議だよね。

商業的な音楽家は、自分の音楽は聞かなんじゃなかも。

なんの因果で猫達と暮らしているのかわからないけど、猫達がいろんなことに気づかせてくれる。意思の疎通が普通にできてると感じる。この子達には、嘘がない。

朝起きると、庭に出る。畑や雑草と戯れる。んだけど、まだまだ植物とのコミュニケーションはイマイチできてないと感じる。

鳥の声、虫の声、風の音、雨の音、生活の音、猫の声。生活の中の空気に溶けていく。

なんだか、不思議な世界に住んでると感じる。

いや、今までの当たり前の世界が、コントロールされた、誰か達が意図的に作った、不思議な世界なのかもしれない。

だから、どうするの???

私1人では、世界はもちろん、社会は変わらない。

変わらなくてもいいのかもしれない。

だけど、こちらの世界に。。。1人でも多くの人に、来てもらいたい。

知識や情報は、「感性」が生きてないと、活性されてないと、意味がない・・・というか、より深く洗脳されていく。

肌で感じ、心で感じ・・・第六感で感じ、嘘と大切なものを見極めていく。

嘘や、見栄や、肩書きの無い、風のような人たち、仲間が欲しい・・・。

今までの人生で「仲間」が欲しいと思った事はなかった。だって、人が3人以上集まると、なんかおかしな空気、エネルギーになっていく。彼らは、風じゃないんだと、今は思う。

私も風じゃなかったn

そっか・・・風の時代か・・・。

なんか納得。


最近は服を脱ぎっぱなしで置いてる。リラは安心するみたい。

ジョイントマットはお気に入りの爪とぎ。

「リラ、いつもそばにいてくれてありがとう。私を信頼してくれてありがとう。神様、リラがいます、ありがとう。」