あの日、巌流島に行って。検疫所跡を見た。

彦島にあるとは知っていたけど、あそこにあるのだと、知った。

あれから数日・・・。

私ですら、あそこにあるとは知らなかった。きっと、もう、ほとんど誰も、その歴史を知らなくなるのだろうと。

南方で捕えられた連合軍の捕虜の人たちは、この検疫所から、門司港へ。

ドナルドさんの顔が浮かんだ。捕虜達の顔がたくさん見えたような気がした。

この歴史をここで伝えることができるのは、連合軍側だった国の人たちに達に伝えることができるのは、私しかいないのかもしれない・・・と。思った。

小倉のメモリアルクロス・・・。朝鮮戦争のメモリアル。

このメモリアルをきっかに、歌手のモニカルイスさんに出会い、マッカーサーの護衛だったデイヴィッドさんに出会った。

みんな、もういない。

彼らから託されてるような、気がした。

インバウンドガイドか・・・。

私は、スクリプトを覚えることができない。

ふと、18歳の頃に就職した観光バス会社の教育を思い出した。「1年生は乗務が始まってもテキストを読むように」と。間違えることよりも、テキストを読むことを教えられた。

あ、そうだ、、、私も、テキストを読めばいいんだ。

この観光バスの会社は、帝産観光。この帝産観光の創設者が作った大きな観音様が京都の東山の麓にある。そこに、連合軍捕虜の人たちの名前のカードが保管されてる。元捕虜だった人たちが来日をしたら、この観音様を訪ねる。

全部が繋がってる気がした。もしかしたら、私の魂が今生でやると、決めて生まれたこと。なんじゃないかと、この数日間考えてた。

多分、世界中で私にしかできない仕事。

戦争で戦った人たちはもうほとんど残っていない。

子供の頃に戦争を経験した人たち、親が戦地に行った世代も、もうかなり高齢になってきている。

私たちは、お祖父ちゃんが戦地に行った世代。

私が、捕虜のことからすっと引いたのは、戦争を実際に経験してきた人たちの心の中にある痛みや悲しみ、怒りに耐えられなかった。

子供の頃に戦争を経験した人たちも痛みや悲しみ、怒りを持っていた。

戦争の経験のない、知らない私たちに、「知っているもの」として彼らは経験を語った。

だけど、私は世代が違い、感情が違う。触れる情報や歴史の内容も違ってきている。

戦争で戦ってきた人たちが生きている間は、私は何も彼らに言わないようにしようと思った。彼らの痛みや悲しみ、怒りは強かった。ましてや、正義のため、国の為に、人を殺したことは、自分や自分たちがやってきたことを正当化するしかないのかもと思った。だから、何もいいたくないと。正当化してあげられないのなら、黙っておこうと。だから、離れた。

でも、今、多くのことが変わってきてる。今までの世界、情報、教育、歴史がおかしいと気づき始めている人たちが多い。特に、私たちから下の世代は。

もしかしたら、その仕事をやる「とき」、やれる時が、きたのかもしれない。

古代のペトログラフ、古墳時代の神功皇后の三韓征伐、平安末期の源平合戦、明治維新、日清戦争(講和会議)、太平洋戦争、朝鮮戦争・・・。

あの海峡での歴史のパズルが埋まったような気もする。

そんなことを今考えてる。