あれ・・・?
昨晩、ふと思い出した。
私、なんで、17歳の時、就職先に「京都」のバスガイドを選んだのだろうって。
「京都なら外国人が来るから、英語を使うガイドになれる機会があるかも」だった。
とはいえ、英語が話せるわけでもなかった。
元々は、進学というか、専門学校に行きたかったの。あの頃は、子供も多く、学校もいっぱい色々あって、英語の専門学校があったの。短大や大学は英語以外の勉強も色々あるから専門学校に行きたかったのよ。
でもね、母に「うちには進学させるお金はない」と、泣きながら言われたの。本当に泣いてた。あ、これも今思い出した。
私の学校は95%くらいが進学だったと思う。だから、私も泣いたわ。周りの「当たり前」が得られないわけだから。
それで選んだのが、京都のバスガイドだったの。
高校時代は、遅刻と欠席が多く、まぁ、無理だろうと。でも、受かっちゃたのよ。
でも、3ヶ月で辞めちゃった。だから黒歴史というか、あまり人には言わなかった。その後は、実家に戻り、家の会社の事務をさせられてたけど、すんごい嫌で、家を飛び出して、スナックで働き始めたの。一年半後に、スナックのママの友達の友達がニューヨークの郊外でレストランをしてて、そこに行かないかって。で、そこに行ったんだけど・・・。
で、私のアメリカとの関係が始まるんだよな。アメリカでは学生ビザを取って、ビザのために英語学校行ったり、ダンススクールにいった。あんなに、英語の進学がしたかったのに、私は英語あまりうまくならなかったの。ほんと。
だけど、このままじゃいけないかもと思い・・・というか、友達に言われたのよね、そんな暮らし方じゃ将来がないから進学した方がいいって。で、ニューヨークの学費が安い市立の短大に行こうと考えたのね。で、父に援助を頼んだけど、また却下。BMWを買うお金はあっても、進学のお金はなかったのよ。まぁ、価値観の違いね。
ちょっと話が離れたけど、結局、自分というより、魂は、何をするのか、決めてるのかもしれない。
だって、17歳(3月生まれだから、入社は17歳だった)から、40年近く経って、私は、英語を使うガイドになろうとしてる。
全く、どうなるのか、仕事は入るのか、収入得て、暮らせるのか。全くわからない。
だけど、今、なんか、妙に、ピタッと、「これでいいんだ」という感じがあるの。
次元が上がると、時間の感覚、過去とか未来が直線上じゃないとかいう。何度も何度も多分、何千年、もしかしたら、何万年も生まれ変わっている魂の時間を考えると、今生100年生きたとしても、それはもうすごく少しの時間で、「今」なんだよな。って感じるの。
だから、私が、18歳でガイド辞めて京都から九州に帰って、20歳でニューヨークに行ったことなんで、昨日のこととか、数ヶ月前のこととかそんな感じがするの。
10代の頃から、ずっと追ってたり、関わってきた、音楽、英語、アメリカ、戦争・・・。
それは、誰かの影響とかじゃなく、誰かに言われたからじゃなく、自分が、多分魂が、それが気になって仕方なかったんだと思う。それは、私が特別で、感性が鋭いからそう感じ取れたわけじゃなく、みんな、そういうのはあったはずだって思うの。でも、親や学校、社会や友達の価値観に飲み込まれていったというか、合わせていったんだと思う。
私は、合わせられなかったんだ。何かがおかしい。自分の心が違和感を覚えてる・・・。そうすると、気が狂ったみたいに、叫んだり泣いたり、20代の頃は過食症になって吐いてた。
私は思うんだ。みんな、そういうの、魂が本当にしたいこと、があるんじゃないかと。
それは、誰も教えてくれない。自分が自分の心と向き合って、寄り添って、語り合って、一緒に歩かないと、気づけないのだと思う。
他の人たちが、「えええええ〜〜!」と顔をしかめたり、信じられないとか思うような、他人にとっても嫌な事やどうでもいい事がどうしてもどうしても気になるんだったら、それはもしかしたらその人の魂が本当にしたいことなのかもしれない。
だから、言い換えれば、他人や社会の価値観とは違って、孤立したような気持ちになるようなことほど。そうかもしれない。
音楽、アメリカ、英語、戦争。それと、この関門でで生まれ育ったこと。その全てが、今やろうとしている「仕事」につながるように感じる。
高校から進学させてもらえなかったことは、結果、これで、本当に良かったと思ってる。
無駄なお金と時間を使ってたと思う。
ニューヨークで短大に行っていても、正直、なんの意味もなかったとも思う。私の場合はね。
3ヶ月で辞めた、観光バスの会社。本当に申し訳ないってずっと後ろめたかったのよ。だけど、きっと、これも、何かの計画やとか約束があったのだと思うんだ。
だって、あの会社の創始者が、創った霊山観音に、連合軍捕虜のたちの大切なネームカードが保管されてるのだから。だからもし、ガイドの仕事で捕虜の話をすることがあったら、それを知りたいと言われたら、霊山観音のことを伝えようと思ってる。
「京都に行くのなら是非東山の麓の霊山観音を訪ねて」と。

