「巌流島」というキーワードが降りてきたので、何が何だかわからないけど巌流島に行ってみることにした。

宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の場所。

宮本武蔵が勝って、佐々木こじろうが負けて亡くなった。巌流島は元々は、「船島」と言っていたけど、佐々木小次郎の岩流という流派の名前をつけて、巌流島となったとか。

巌流島は、「眼龍島」とこじつける、説もある。

私のガイドに訊くと、偶然はないという。地図を見ると、龍の頭で舟島が眼のように、見えないこともない。

巌流島で何をするのか?準備すること、持っていくものありますか?

何もないと言う。行けば自ずとわかるという。眼を入れに行くとか・・・。マジ不明。

子供の頃から巌流島がそこにあることは知ってたけど、初めて行った。


元々は、今の1/3ほどの大きさで、2/3は埋め立てたらしい。

あれ?三菱造船だ。あ、ここでペトログラフが出てきた・・・んだ。

杉田のペトログラフは埋め立てた島の先端の右上の彦島の丘・・・。

あれ・・・?あ、ここかも。

どうするの?

ちょっと、島の先端にも行きたい。

途中・・・。

古代伝說
本州と九州の間は陸続きでその下に潮の流れる穴があったが、長年の侵蝕と地殻変動によりいつの時代にか陥没、その流れた土壌が船島となったと平田篤嵐説を公表、それまでは本居室長の『古事記伝』に書いた「土壌が流れて引島に」や大同小異の伝説があった。

マジか・・・?すごいな。

「本州と九州の間は陸続きでその下に潮の流れる穴があったが」

だから「穴門」なのかも・・・ただの言い伝えでも、これは「穴門」だわ。この2日前に考古博物館に行った。

穴門(あなと)って何?いつ?|下関市立考古博物館へ

 

三菱造船・・・。

あ・・・ここだ。連合軍捕虜が運ばれてきて、検疫所。ドナルドさんたち、ここに着いたんだ・・・。

気になった岩のところに戻った。

何もしないでいいらしい。ただそこにいれば。

私が、そこに居れば・・・。白石昌子がいれば。陽(日)が当たると、白い石の水晶になる・・・。

よくわからないけど、まぁいいや。わからないから、言われたことをただやればいいや。

曇り空から太陽が見え始めた。

とりあえず、写真を撮っておこう・・・。

あれ。。。雲が龍みたい・・・太陽が、なんか、眼だ。(この写真じゃわかりにくいかも)

ペトログラフが出てきたすぐそば。ここの石も、それらの石の名残りかも・・・どうだろ。神聖な場所、神聖な島なのかもしれない。

よくわからないが。これでいいんだ。任務完了。