人は何の為に、どんな目的があって生きるのか。

人は何の為に、どんな目的があって生きるのか。

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エッセイ


定期的に考えてしまう事。

人は何の為に、どんな目的があって生きるのか。

丑三つ時に目が覚めて、また、布団の中でじーっと考えてた。

弱冠45歳の私には、きっと正しい答えは出せないと思う。そもそも、正しい答えがあるのかどうかも分からない。

で、布団の中で今日解ったかもしれない事は、
時代、場所、世代、年齢によって価値観、常識は異なるんだろうな。と。例えば80歳まで生きるとして、その間に何度も変わると思う。例えば、一人の人の80年という時間のスパンを考えたら、時代も変わる。人によっては場所も変わる。

私は、時代が大きく変わるスパンを25年と考える事がよくある。
なんで、25年かというと、原爆が落ちて、戦争が終わって、私が生まれるまでの時間が約25年(24年と5か月)で、私が生まれた時には戦争は全く過去の遠い時代の話で、焼け野原も、復興も、進駐軍も知らない。全く時代が変わってしまったんだと思う。

その後、25年した頃、バブルの崩壊かな。

そうやって考えると、45歳の私にとって、20歳ほどの人たちは、全く違う価値観を持っている事が当たり前なんだとも思う。私達世代の多くの人が持っていた目標や価値観は違うんだと思う。自分たちの親世代とも多分違う。

で、自分の10歳、20歳、30歳、45歳、を考えると、生き方も考え方も、求めていたものも、価値観もかなり変わったと思う。

多分、人間には、欠乏したもの、満たされなかった部分を満たしたいという欲求があるんだと思う。例えば、最低限の衣食住。その次は、周りと比較したりした衣食住かな。物欲は生きて行く為に必要な、最低限のモノ。その次に、周りと比較した上で起こる物欲。どこで満たされるのか、それは個人差があるし、性格や欠乏感や飢餓度でも違うと思う。ある程度満たされると、多くの場合、そこに大きな価値や目的を感じなくなると思う。

現代の私たち世代に多いのは、認証や愛の欠乏をどう埋めたらいいのか、どう解消したらいいのか、もしくはそれを持ちながらどう生きたらいいのか。そこでもがいている、もしくは、歪んでしまった人が多い気がする。

欠乏しているという事は、満たされないから、満足しない。どこで納得して、折り合いをつけるか。

折り合いが付いたら、次に欲しいものや、やりたい事、生きる目的や目標も変わるんだろうな。とか。

人は、とりあえずの、目標や目的を持つと、生きやすい。
自分の心に何が欠乏しているのか、を知ると目標や目的が解りやすいのかも、とか、それに目を背けると、もっと混乱するのかも、とか。

その向こうに、その人だけの、自分軸のオリジナルな生き方や人生があるのかもとか。愛と認証の欠乏感が複雑になってしまってもがいてたり、苦しんでた自分は、そこにある程度折り合いをつける事が出来たのか、解らないけど、そんな気もする。


今の、ワタシ(子供はいない)は、モノや事や人の違い知ったり、その仕組みを考えたり、知的好奇心を刺激してくれて、自分の価値観が広がる体験、そういうものに、すごく魅かれる。もしかしたら、退屈で仕方ないのかもしれない。

45歳の、今の、私が、欲するものを、時には貪欲に欲したい。きっと、生きる目的も、欲しいものも、考え方や生き方も、10年後には変わっていると思うから。

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