ちょっとブログが空いた。
書いてない訳じゃなくて、書いているけど、上手くまとまらなかったり。

今日は、市場に行って豚肉と卵とサツマイモを買った。
サツマイモ、1lb4円位。1キロに換算すると10円位。
とりあえず、ただ蒸してみた。ら、んっも~~~、すげ美味かった。

サツマイモ(*'▽')
サツマイモ(*’▽’)

昨日は、学校の日本文化研究でのカンファレンスにクラスメイトのゆかりちゃんを誘って行ったの。

ロサンゼルスから禅宗のお坊様がお見えになってお話をしてくださるという会だった。
コジマさんというお坊様は、私たちを気遣ってくださり、日本語でお話をしてくださった。

コジマさん☆通訳は漫画オタク系のせさーる君
コジマさん☆通訳は漫画オタク系のせさーる君

私は特定の宗教は持っていないつもりだが、根底に禅に近い哲学が自分の中にあるんだろうと、感じた。だからか私にとってはとても解りやすいお話だった。

真摯に耳を傾けるキューバの人たちを見て、うれしく感じた。

お話を聞くキューバの人たち☆
お話を聞くキューバの人たち☆

コジマさんにロサンゼルスに住むある友人の事を聞いてみたら知っているようだった。
その友人に、フェイスブックから連絡をすると、彼もコジマさんをよ~く知っていると。

3年前、私は太平洋戦争の歴史の事でヴァージニア州ノーフォーク市で行われた、「バターン・コレヒドール防衛兵記念協会」のコンベンションに参加し歌を歌わせていただいた。ご縁を頂いたのは、1999年の私が行ったプロジェクトで知り合った元捕虜のアメリカ兵との出会いから。

 私の名札。
私の名札。

フライトはなぜかハワイ経由でハワイに一泊しなくてはいけなかった。ハワイの真珠湾に行き、無条件降伏の調印がなされた戦艦ミズーリに乗った。

戦艦ミズーリ
戦艦ミズーリ

長く住んだニューヨークに立ち寄り、その後ヴァージニア州に行き、コンベンションに参加した。同市にあったマッカーサーのミュージアムに行き、その後、カルフォルニア州のサンディエゴに日本でマッカーサー元帥の護衛をされていた方に会いに行った。その元護衛の方の計らいでマッカーサーミュージアムへは私の訪問が事前に伝えられ、ミュージアムの方にも親切にしていただいた。サンディエゴの後、朝鮮戦争の際にダニーケイと朝鮮に慰問に行った歌手のモニカルイスさんにお会いするためにロサンゼルスを訪ねた。

ロサンゼルスにはフェイスブックで知り合ったそのお友達を訪ねた。彼は日系人ミュージアムで日系人の歴史をお伝えする事をしていたの。彼はミュージシャンでもあって、私たちは音楽と、アメリカと、日本と、太平洋戦争というテーマでネットを介して親しくなったの。彼との親交のお陰もあって、私は太平洋戦争時の日系人の歴史の事も色々と知る事が出来た。

ロスのお友達と日系人部隊のメモリアルで。
ロスのお友達と日系人部隊のメモリアルで。

2011年から2013年まですごい勢いで太平洋戦争を追っかけた。
途中で太平洋戦争は日本やアジアから見ると大東亜戦争だという事を知った。そんな事すら知らなかった。

私は、戦後、アメリカがもたらした教育システムや価値観によって育ったからか、あの時追っかけていたのは大東亜戦争と言うより、太平洋戦争だったのかもしれない。

5月27日(今日)オバマ大統領が広島を訪問するという。
「バターン・コレヒドール防衛兵記念協会」に所属する元捕虜の米兵を同行するというニュースが流れたが、それはどうも無くなったようだ。

オバマ大統領の広島訪問。
核なき世界、と言うけれど、
本当の意図はなになのか。国際社会の思惑や意図は私にはよく解らない。

2011年だったけか、トルーマン元大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエル氏が広島を訪問しその後長崎を訪問するというニュースを見て、長崎にぶっ飛んでいった。

自分の目でクリフトンさんを見て感じて、考えたかったから。
それと何よりも、アメリカの歴史観や世論から、また日本側からも、彼のやっている事はとてもとても難しいとも思ったの。それを乗り越えて、ああやって被災地を訪ねてくるクリフトンさんにどうしても、勝手に、「ありがとう」を伝えたかったの。

クリフトンさん
クリフトンさん

大雨で化粧もはげ、丁度いいカバンが無くてスーパーマーケットのショッピングバックを肩から掛けた私に、彼はとても紳士的だった。

元アメリカ人捕虜の活動をしている日本人の友人に、クリフトンさんにあった事を告げると、彼女はクリフトンさんの友人でもあり、クリフトンさんの事をいろいろと教えてくれた。

連合軍の元捕虜の活動と言うのか、そういう事を通じていろんな事を考え感じた。結局、私の心と頭は混乱していった。

みんな、私に親切で優しかった。
多分、みんな、私が好きだった。

誰も、私を傷つけようなんて思ってなかった。

でも、私はどんどん苦しくなっていった。
私、という個人の心が傷ついて行った。

その奥には、自分の国を残虐でひどい国だと思い、恥じていた自分と、自分の国を踏みにじるように生きて来た自分もいた。

そのもっと奥には、自分の国を誇りに思いたい自分が居たのかもしれない。

上手く説明できないが、自分の中の「日本人」がとても傷ついていて、ボロボロだった。

その傷と、自分の魂が深く日本人であるという事に気づかせてくれたのは、在日本アメリカ領事館でのアメリカ合衆国独立記念日の式典でアメリカと日本の国歌を歌わせていただいた時だった。

皮肉なもので、私は、アメリカ合衆国に一生懸命近づこうとする中で、近づいていく中で、自分の中の違和感に気づいていき、自分が深い部分で傷ついた「日本人」だという事に気づいて行った。

私は、自分の中の日本人を修復したくて、キューバに居たりする。

人には解りにくいかもしれないけど、それが、私のやり方で、傷ついた私の中の日本人は確実に癒され、修復されて行っている。そう、私は感じている。

私が今の学校を選んだのは、授業数が少なく、学費が安かったから。
でもそこに日本文化研究部があり、そこに以前キューバの日本大使館に勤務していた馬渕睦夫さんの署名があったの。

馬渕さんのサイン発見☆
馬渕さんのサイン発見☆

馬渕さんはキューバの後はウクライナなどで大使を務め、外務省を退職後、ネットや著書を通じて日本人が日本の心を取り戻すカギに成る様な事を発信してるの。私は彼の口を濁らせながら彼にとっての伝えたいことを言う口調が好きで、ネットの動画をよく見ていたの。

で、三菱マテリアルが、太平洋戦争時に使役した元アメリカ人捕虜へ企業として初めて謝罪したという記事から、馬渕さんが外務省で昔同期だった岡本行夫氏が間に入り、それがどうのこうのと口を濁らせながらちょっと批判っぽく言っていたのがとても印象に残ったの。

岡本行夫さんの事は、私が20歳そこそこの大馬鹿無知子ちゃんの頃からお名前と存在だけは知っていたの。ニューヨークに住んで居た頃とてもお世話になった方のご親族だったの。でも、外務省と聞いても、大馬鹿無知子の私は、外務省が一体なんで、彼のポジションがどういう事なのか全く解らないし興味がない。とにかく、私は本当にすごい無知だったの。

三菱マテリアルの新聞記事を見て、私は適切な時に捕虜の問題から抜けたとも思った。多分、色んな事が絡んで謝罪という形式につながったのだとも思う。

元捕虜の活動を通じて、またアロマシールド社とのやり取りを通じて、アメリカ人にとっての「謝罪」の意味と日本人にとっての意味は違う気がする。社会システムや宗教観といった考え方や常識を作るであろう基盤が違う気がする。

オバマ大統領の謝罪を多くの日本人が求めていないらしい。
私も謝罪をしてほしいとは思わない。

私が捕虜の活動を通してとても傷ついた理由の一つは、誰も私たちの国がどういう状況であったのか、私たちサイドの歴史を聞いてくる人はいなかったし、理解しようとしてくれた人もいなかった。

正義。
自由。
平等。
愛。

言葉では何とでもいえる。そして、その言葉の定義も国によって、宗教観によって、人によって違うんだと思う。

「あの時代の日本はとても悪い国と人たちだった。でも戦後の日本人や君たちはいい人だよ」

彼らは私にとても優しかった。良心や配慮のつもりで言ってくれたのかもしれないけど、あの時代の日本人は、私たちの先祖で、彼らを悪く言われるのはとても傷ついた。

だから、私もほかの国の歴史を語るときに、気を付けたいと思った。
でも、きっと、多分、私も、また、うっかり、無知と愚かさから誰かを傷つける。

ただ、歌が好きで、全く、政治や経済、世界情勢などに興味もなかった私。気が付けば、多分、色んな事に絡んでしまっていたとも思う。無知で無邪気だったからいろんな経験をして、無知で知識がないし、先入観も少ないから、いろんな事を自分で考えてる機会を得られたとも思う。

学校にある馬渕さんの署名を見て、多分、私は適切な場所に居るんだろうと、思った。
コジマさんのお話を聞いて、自分は仏教が基盤にある日本人だとも思った。

世界は、とても、とても狭いとも思う。
色んな人が、直接または間接的に繋がっていた気がする。
出会う人たちがもたらすメッセージを私なりに咀嚼する。

この1週間、家でゴロゴロしていたのは事実だが、ずっといろんな事を考えてた。

芋をふかして、祖母を思い出す。
祖母の時代や芋が最高なおやつだった貧しかった頃の日本を想像してみる。

そういう事を考える事が出来るこの国(キューバ)に来て本当に良かったと思う。

この国のサツマイモ美味い。
この国のサツマイモ美味い。