感情解放プログラムを行いながら、日々色んな事を考えながら、どうしたら生きやすくなるんだろう、どうして生きにくさを感じるんだろうとか、延々と考える。
私が海外に行ってしまう一つの理由は、今までの価値観や常識と違う事柄の中で自分が何に気づき、どう感じるか、それを自分の中でどう処理するか。結果、今までとは違う価値観や今までの枠の外の常識を知る。
感情解放プログラムの中では過去の感情から起因する事などを見つけ出し整理することが最初の段階で、それらをいかにその人にとって理解納得出来るようにヒントを出せるか、それに悪戦苦闘する。
悪戦苦闘という言葉に語弊があるかとも感じるが、簡単に理解納得できるのであれば、そんなに色んな感情や出来事を複雑に絡ませていかないかもしれない。簡単に理解したと感じる時ほど、単にお利口で物分かりがいい系の場合もある。
理解納得が出来たら、オイルを使ってすっと感情が解放される。
私がオイルを使う理由は、理解納得が出来ても抜けない物がオイルを使う事で抜けやすいと感じているから。だからやっぱりオイルは使う。
感情解放プログラムを受ける多くの場合が、今まで親や周りの価値観を押し付けられた。コントロールされた。抑圧されたと感じている。
それが解放されたと感じる時、次にその人はどうしたいのか、どう生きたいか、という事になる。
私がどうしたいかを与える事は出来ない。
いくつものアイデアを提示することはできても、その人が心から望むことをやってもらいたいと思う。
その人なりの価値基準や優先順位が定まっていない場合、その人はどうしていいか解らなくなる。
価値基準。
他人の物差しではなく、その人にとっての、価値基準。
それは、時代や年齢と共にも変わるものだとも思う。
現在のその人にとって満たされていないと感じる物が優先されるかもしれないし、もっと普遍的なものかもしれない。
でも、そもそも価値基準はどうやって出来ていくのか。
時代、社会、環境、友達、家族・・・外から入ってくる情報が元になるのだとも思う。
そういった物を包括的に受け取り、自分のフィルターで処理をする。結果、それがその人の価値基準になるんじゃないかと。
結局、自分の心、自分の考え、と言う物や、自分自身は外部の情報により、比べる事で出来ていくというか。
沢山の情報の中から意識的に「自分のフィルターで処理をする」
そうやって価値基準を作る。
もしくは、誰かが作った価値基準に乗っかる。
どちらにせよ、価値「基」準の、基となる軸がないとその人は途方に暮れるんじゃないかとも思う。
価値基準を自分がしっかりもっていたら、とりあえずは生きやすいのかもしれない。
生きる上でその人なりの価値基準を持つという事がとても重要なんじゃないかと。
価値基準は、いくつものジャンルに関してあって、色んな多くの物や事柄が緻密に微妙に複雑に作用しあったりもすると思う。
私は私の中の色んな価値基準の相互作用の中で、キューバくんだりまで来て、家に引きこもって読書をして、自分の中で知りたい事があるから、そんな暮らしに今はそれなりの充実感を持てるのだと思う。(嫌な事も色々あるよ)
私には私のテーマがあり、みんながみんなそうじゃないと思う。
価値観や価値基準は他人が与えてくれるものではなく、自分で築くものな気がする。その価値基準は家の基礎のように、時代や場所によって違うし、天災が起きた時に、これではダメだと気づき建て替えなくちゃいけない事もあると思う。
違う常識や価値基準、風土、歴史の場所に居ると、今までの考え方では基礎が揺らぐ。私もこれからも何度も建て替えをするんだと思う。
普遍的で絶対だと思っていた事ですら、深く掘り下げるとそれぞれ定義が違ったりする。
ほんと、こんなところに居ると、混乱するわ(笑)
でも、刺激を受けて、混乱して、考えまくりたい今の私は、これでいいのだと思う。