異国や異文化の中に居ると、色んな事に疑問を持つのですが、疑問をじーっと堀り込んでいく中で、私は仏教徒なんだと、気づいてしまいました。
まずこの前、学校で禅宗のお坊様のお話があったのね。その時に、あれ?私、案外仏教徒かもって思ったの。
で、その後に、小泉八雲読んだりしてて。
で、その後に読んだ本に、どうして日本にはキリスト教が根付かなかったのか書いてあったの。
「芥川龍之介は、天才的な作家ですが、なぜキリスト教が日本に根付かないのかを「神神の微笑」「おぎん」などの一連の短編小説の中に書いています。
昔から日本人にとって一番大切な宗教的感情は何か。それは、おそらく先祖供養の気持ちです。日本人は先祖供養をとても大切にしてきました。先祖供養の気持ちは、日本人が忘れる事の出来ないものです。ところが、キリスト教と言うのは、残念なことに先祖供養を認めていない宗教です。これは日本人の信仰と合わない考え方です。」(世界を操るグローバリズムの洗脳を解く/馬渕睦夫)
今更、目からうろこでした・・・。
ええええ!キリスト教は先祖供養を認めてないの!?
困るじゃん!!!ご先祖様があって、ご先祖様に守られて、私は生きてるのよ!!!
と、思った私は、仏教徒だわ。
と、気づいてしまいました。
それから数日後、ご飯食べる時に見る物がないから、たまたまパソコンに残っていたオリバーストーン監督の「天と地」という映画を見ていました。ベトナム戦争が舞台にある映画で、戦争物かと思いや、大きなテーマの一つに仏教とキリスト教の事があったの。ベトナム人の主人公の女性は仏教徒でアメリカ人のご主人はカトリックで、改宗をしようとするのですが、どうしても彼女にはキリスト教が納得出来ないんです。神父さんにぶつけるのですが、彼もこたえきれない。で、ご主人が自殺した後にご主人の写真を仏教の祭壇に奉るの。それを見て、義母や義理のお姉さんがすごく怒るの。
えええええ!本当に、亡くなった人や先祖を仏壇に置いちゃダメなの????
この映画は、2時間半くらいあるんだけど、
映画をそのまま2時間半見て。
オリバーストーンの解説付きで、2時間半見て。
公開できずにカットされたシーン。オリバーストーン曰く、JFK公開の後だったのでこれ以上論争が起きたり、アメリカ人に問題提起をする事は出来ないから未公開にしたシーンとかが多いの。
で、この未公開シーンを普通に見るのと、オリバーストーンの説明付きで見るのと両方。
占めて、7時間近く見てください。
オリバーストーン自身の思いから偏りもあるとも感じますが、私は、自分が東洋人で仏教徒なんだと気づきました。
この映画、偏りもあると思うけど、そういう側面を解ってみるとかなり面白かった。
子供の頃、祖父母の家に行くと仏壇があり、ご飯が出来ると「まんまんちゃんにご飯をあげて来なさい」と言って、最初のご飯を持って行った。お菓子を貰うと、果物を貰うと、仏壇に持って行った。
私の両親もそうしてた。
(私の家では仏壇と神棚と両方にご飯をお供えしていました)
そして、私は、先祖が自分を守ってくれてると、心の底で、やっぱり思っている。
私、多分、仏教徒だわ。
異文化の中で暮らすという事は、相手の当たり前と、自分の当たり前が違う。
特に、宗教は深い所にその人のモラルや考えの基盤があったりする。違うからと相手の考えを拒否する必要はないけど、違うという事に気づいていないと、色んな事が解らなくなる。違うという事に気づくためには、自分を知らないと、違いも認識できない。
で、ここで、ちょっとした問題提起なのですが。
最近、よく感じるのが、ふと、自己啓発やスピリチュアル系の本を見ると、多くがアメリカや西洋の人が書いたものやその流れを汲んだものが多い気がするの。価値観や価値基準が西洋的だと感じる事がある。
スピ系の多くが西洋人(多くの場合クリスチャン)が答えが見えずに何らかの形で東洋を融合させたものもあったり。いや、目から鱗だったんだけど、そもそも、クリスチャンと仏教徒は信仰の根底が違うのではないか。んだけど、ヒーリングとかにしても、有り難がって高いお金を払って西洋のメソッドやヒーリングを受けようとする。有り難がらなくても、日本には素晴らしい信仰や教えがあったんじゃないか・・・。
本当に、私たちは、元々持っていたはずの、何か大切な物を無くしてしまっているのかもしれない。
つか、白石お前こそ、キューバくんだりにまで来ないと気づかなかったのかよ。で、すいません。