キューバでの学校は夏休みです。
8月14日から、前のブログで書いたように、南米の日本人社会で暮らす友人を訪ねてパラグアイに来ています。
キューバから飛び出した理由は、価値観や生き方、考え方や常識の違いに煮詰まってしまったから。

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パラグアイの日本人たち、特に一世の人達と話をして行くうちに、ラテンアメリカの人たちは私たちとはやっぱり違うんだ。と、実感。
多くの「日本人」は同じような事にぶつかるようです。
ブラジルの日系人の事は良く知られていますが、中南米にはそのほかの国にも沢山の日系人が居ます。
ペルー、ボリビア、アルゼンチン、ドミニカ共和国、パラグアイ、キューバにもいます。
北アメリカのアメリカ合衆国やカナダにも。
日本は貧しかったんです。
時代によって、移住した国が違うみたいです。
以前第二次世界大戦の事を追っかけていた時、アメリカ合衆国の日系人の事を知り、ロサンゼルスに行きました。第二次大戦時に日系人部隊として戦った人たちは多くが二世。彼らの親たちが移民をしてきたという事になります。

パラグアイの移民は今からちょうど80年前に最初の人たちが来たようです。その後、戦争が終わり、国も貧しかった為、国が移民を斡旋したようです。1950年代から1960年代初期まで移住があったそうです。
今、ここパラグアイで子供の頃に親に連れられて移住をしてきた一世の方々にお世話になったり、お話を聞いたりしています。60代から70代くらいの方々です。
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パラグアイの日本人の移住の歴史はここを見てください。
http://rengoukai.org.py/ja/la-sociedad-nikkei/historia
私が最初に滞在した場所は、友人の住むラパスという場所です。
移民をしてきた人が、昔建てた、木造の家。
今は冬で、時々、とっても寒いです。蚊もいっぱい飛びます。
でも、入植当時の人たちはテントなどだったらしく、もっと寒かっただろうと思うので、私も我慢します。
国によって蚊の種類って違うなと感じるのですが、パラグアイの蚊は強烈です。すんごい腫れて、かゆみが1週間ほど続きます。薬局に虫よけはあってもかゆみ止めは売っていません。先日お世話になったおうちのお母さん69歳が、言っていたのですが、デングにやられて死にかけた事があるそうです。で、理解できたのですが刺される前に予防するようです。
日本で暮らしていると、私にとって虫よけってキャンプやBBQの時に使う物って感じでしたが、もはや必須。今、バグドロップを試そうと、オーダーしています。
パラグアイに来て、ブログは一つも書いていません。
私なりの理解や整理に時間がかかっているという感じです。
今もまだ理解や整理が出来ていません。
でも、この数日、感じているのが、
ここにいる人、もしくは、ここに住む1世の日本人とは、「生きる」という意味が、私たちが感じて来た、考えて来た「生きる」という事と違うような気がします。
日本では当たり前にある、「安全」が、この国では当たり前ではないようです。
強盗などで死にそうな目にあった人たちは少なくないようです。
また、殺された人達の事も耳にしました。
政治が腐敗するという事や、政権によって治安が大きく変わる。
その事の意味や、現実。
パラグアイでは1954年から1989年までの35年間、アルフレド・ストロエスネルという大統領の独裁だったらしい。日系1世の人たちに聞くと、その時代は比較的安全だったらしい。彼らは、独裁政権を悪く言わない。むしろ良かったという。
キューバを見てみたかった理由の一つは、「独裁が悪い」と、よく言う人たちが居るが、どうしても納得できなかったから、独裁政権と言われるキューバを見てみたかった。私がキューバで暮らしてみて感じたのは、キューバは「悪い国」ではないという感じ。
私は、パラグアイの首都アスンシオンに飛行機が着いて、その後すぐに友人と一世の日本人が迎えに来てくれて、そのままずっと一緒に、静かな村、「ラパス」に行って、日本人たちの中で過ごしていたので、この国の治安の悪さをそれほど感じなかったけど、ブラジルとアルゼンチンの国境の町に来た時に、街中の露店であちらこちらでスタンガンが売られてて、私にも気軽に売り込んでくる人達を見て、ここは、日本とも、キューバとも違う事を実感した。
「国民性」という意味は、キューバでもさんざん考えたけど、
政治が安定しているという事の意味を考えた。
政治の腐敗という事の意味を考えた。
ついでに、ペルーの元大統領のフジモリさんの事も調べたり。
南米の現実を何も知らないと、フジモリさんが何をやって来たのか、どれ程大変な事に挑んできたのかあまり理解できないような気がするし、フジモリさんをさらっとだけど知りながら、南米がもうちょっと解るヒントが無いかとか。
国境の町では、お母さんが、
「夕方6時には帰ってらっしゃい」
「そんな大きなバッグ(といっても私的には小さい)狙われるからこの小さいのを持って行きなさい」
「取られて困るものは置いて行きなさい」
日が暮れると、虫よけをスプレーしてくれる。
パラグアイを去った人達、ここに残ると決めた人たち、ここに残るしかなかった人たち。
ここに残った人たちは、強いんだと思う。
生きる為に、ジャングルを開拓し、
生きる為に、多くを犠牲にもし、
生きる為に、助け合い、
生きる為に、生きている。
て言うか。
私たちは、ただ「生きる」のであれば、安全があり、簡単に生きられる。
腑抜けてても、生きられる。
だからなのか、「生きる意味」を探す。
国境の町のお母さんは、料理が得意で、無茶苦茶美味い。
「食」への情熱が半端ない。
毎日、一緒に、NHKのニュースやドラマを見て、たらふく食べた。
お漬物も、お味噌も、豆腐も、納豆も、なんでも手作り。
その家で作ってなくても、誰かの手作り。
ここに住む日本人たちは、私たちよりも日本を大事に思っている気がする。
お母さんは毎年、お父さんとひと月ほど車で旅に出るらしい。
9000キロとか走るらしい。
アルゼンチンで肉を食べ、
チリで魚介類を食べる。
調理器具を車に乗せて、市場で買い物をして、食べつくすという。
豪快で元気なお母さんのバイタリティに「生きる」という事をまた考えた。
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