ほぼ毎週、ピアニストのデイブちゃんが私の家に来て、リハーサルをする。

デイブちゃんは、私が22歳くらいの時に一緒に仕事をしていた。今は72歳とか74歳とか、そのくらいで、ずっとバンドマンとか、ピアノで生計を立ててきた人。いわゆる長いキャリアがある地元のプロフェッショナルのミュージシャン(日本人)。

デイブちゃんは、毎週私の家まで約40キロの距離を運転してくる。

リハーサルと言っても、ライブの予定が無くても、来る。

私は、DIYや畑や、いろいろ考える事で忙しく、余り練習も出来てない。申し訳ないと思う。だけど、ニコニコして毎週来てくれる。

そして、私に・・・言われる。

「デイブちゃん、その曲、知らないよね?楽譜があって弾けても、その曲もともと知らないよね。」

意地悪している訳じゃない。わかるし、形だけ整えても曲に内容が無いから、言ってしまう。申し訳ないと思う。だけど、言ってしまう。

「別にその曲をやらなくてもいい。デイブちゃんの知っている曲をやろう」という。

 

デイブちゃんは、弾き語りもする。

そうこうして私が歌っていると、「この歌僕のレパートリーだ」というので、「歌っていいよ」という。

「歌っていいよ」と、上からみたいだけど(笑)、まぁ、「歌ってみて」というのも、上からみたいっぽい。私はそんな言い方しかできない。じゃぁ、このシチュエーションでは、どんな風に言えばいいんだろう・・・。

「デイブちゃんのレパートリーなのね!じゃぁ歌ってよ!(*^-^*)」か。。。

デイブちゃんが歌うのを聴きながら、見ながら、ステージでの何かいいアイデアが無いか考えたりするの。

 

でデイブちゃんが歌うと、「・・・あれ。そこもっかい歌ってみてくれる?」

素直なデイブちゃんは歌ってくれる。

「もっかい歌ってみてくれる?」

素直なデイブんちゃんは歌ってくれる。

「もっかい・・・」

素直なデイブちゃんは歌ってくれる。

意地悪をしている訳じゃない。うっかり間違ってるのか、間違って覚えてしまってるのかを確認してる。

確実に間違って覚えてしまってるとわかったら、「デイブちゃん、そこ違うよ」という。

そこが、そう違うという事は、日本語にしたらこんな風に聞こえるんだよ、と説明する。そして、どうしてそういう間違いをしてしまうのかを、私の頭は勝手に模索する。

 

一曲に一か所くらいだったら、余程歌詞のつじつまが合わない限りは言わないけど、3か所以上あれば、どこか解りやすい所でこれをする。してしまう。

「デイブちゃん、誰も言ってくれなかったの?」

気付かない人も多いと思うけど、気付いた人もいると思う。

そんな事を言ったり、やったりする自分がとても嫌になる。

自分だって英語もそれほどわかる訳でもないことは自覚している。自分が嫌になる。

 

先日、リトリートにお客様が来てくれた(^^)/

リトリートというより、道場だった。

朝まで続いた。

「あれ?」と思うと、そこを突っ込む。

「あれ?」はその人が思考や感情に及ぼす、パターンや鍵。本人は全く気付いていない。ここに気づかないと、理解しないと、理解できないとしても気付かないと、今の思考のパターンは変わらないし、そのパターンからの引きおこる感情のループや拡張から抜けられない。正直言いたくない事でもあるし、相手も言われたくない事だと思う。

言われたくない事だからか、相手は自分を正当化したり、食って掛かってくる。これは、12~16週で行う感情解放のプログラムでも当たり前に起こる。この状況になると、互いにきつい。相手のきつさも解る。

先日、こんなやり取りをしながら・・・考えた。気づいた。

もしこれが「友達」だったら、私は言わない。その考えや観点を理解、共感してもらいたいのかもしれないけど、そう解っていても、全く共感できないものに、共感は出来ない。共感できない自分は、共感してあげられない。私は、そこで共感してしまうと、そのうち自分が解らなくなる。

その友達と考え方や観点が違い過ぎて、そこから彼女がやってしまう行動や言動が私にとって苦痛だとしたら、私の場合は距離を取る。

もし、ちょっと知っている人、たまたま出くわした人がそういう、ちょっと面倒な思考や言動のパターンを持っているかもと気づいても、もちろん何も言わない。

もちろん、そういう思考や言動のパターンに気づかなかったり、その人に共感する人や、それに従いたい人、従ってしまう人もいると思う。

 

確かに・・・。たいして親しくない人が、おかしな歌詞で歌っていても、私だって何も言わない。言っても私にどうにもできない、直すお手伝いは出来ない。そもそもそんな事は望んでないと思うしそんな関係じゃない。ニコッと笑って、素敵ね、といえばそれでいい。社交だ。人との間の「潤滑」だ。だけど、私は心にもない「素敵ね」とは言えないから、黙って去る。

だから、デイブちゃんにも歌詞が間違ってて、歌の物語のつじつまが合わないと気づいていても誰も何も言わないのかもと、彼女とのやり取りの中で、そんな事を考えた。気づいた。

 

人との間の「潤滑」。

だけど、その機械(人)が、うまく作動できなくて、おかしかったら、どうしてそうなってるのか、どの部品がどこでどう誤作動してしまうのか、それを探す。それは、潤滑材でどうにかなる事ではないと思う。

私を信頼して、お金を払ってまでも、心の誤作動に気づき、何とかしたいと思う人たち。

お金をもらうからには、仕事として、責任もあるから、一生懸命やる。54歳のオバサンが朝までやるのはきついといえばきつい。だけど、私を信頼してきてくれたお客さまが納得できずにぶつけてくるとき、出来る限りとことん付き合いたいとは思う。私が本気でやらないと、きっと何も伝わらない。

相手が何を求めてるのか。

ちょっと知り合った人、友達はそんな事を求めてない。

多くの「他人」は本当の事なんて言われたくないのかもしれない。そうね、だから、テレビとか、ドラマとか、映画とかを求めるのかもしれない。優しい嘘、心地よい嘘、本当のことから目を背けるほうがが好きなのかもしれない。

 

私は、正直に、言ってしまう。

正直というのは、相手にきついかもしれない。わかってる。だから言ったからには私に出来る限りの誠意を持って向き合おうと思う。

さて、デイブちゃんは、怒らず、「ありがとう(⌒∇⌒)」と言って帰っていき、また翌週くる。

性格的にマゾなんだろうか・・・と思った時もあったけど、私から得るものがあるのだという。

そうそう、私は出会った22歳の頃から、デイブちゃんの事を「デイブちゃん」と呼んでいる。私の事を「生意気」だと思っていたらしい(笑)。でも、30年経っても「デイブちゃん」と呼んで、自分の意見を言う。私は生意気とかじゃなく、そんな人なんだと、デイブちゃんは今は思っていると思う。

この土地でミュージシャンとして長いキャリアのあるデイブちゃん。こんなこと書くと、デイブちゃんだけが間違って覚えてたりでオカシイのかもと思うかもだけど、この地方都市の殆どのミュージシャンが、そんな感じだと感じてる。だからあまり音楽関係の人とは付き合わないようにしてる。本当の事うっかりいうと、面倒な事になるからね。

私の歌だって、所詮、第二外国語で英語を使う、日本人の英語の歌。正しく、歌えてるわけじゃない事は自覚してるし、結構苦労してる。


写真は庭に咲いてた藤袴っていう花だよ。右にあるのは水引っていう茶花らしいよ。