私は、人から、感化される事が、好きじゃないのよ。自分のフィルターで感じて、考えて、決めたいの。だから、村上龍さんのキューバ関連の話しは、殆ど読まなかったの。彼って、しっかりとした個を持っていて、鋭いから、感化されそうじゃない。
昨日、キューバのバンド、NG La Bandaのムラカミマンボの動画をうっかり見て、村上龍さんが気になって、ブックオフに行ったの。「半島を出よ」っての、買おうと思って、そしたら、その横に108円でKYOKOという、キューバとNYと日本を舞台にした作品があって、15年ほど前に読んだ時は、まったく面白いと思わなかったんだけど、108円だから、なんかの読まないと、、、とか、と、思って買ったの。
KYOKOを読んで、KYOKOが子供の頃、ダンスを通して彼女が生きるために最も大事な事を教えてくれたホセに会いにいく彼女は、私の中の経験と重なったの。私はKYOKOの様にきれいでしなやかに強くないし、ガチャガチャだけどねw。
これは、日本と日本人、アメリカの事、移民の事、キューバの事、亡命の事、そういう事情やバックグランド、キューバの音楽とダンスを肌や細胞で感じた人じゃないと、理解がしにくい所も結構あるかもしれない。
読んでて、何度も涙が出たの。ニューヨークの老人ホームに居るレナードガスキンの所へ地球の裏から飛んで行った。一枚のチラシを持って、マンハッタンのミュージシャンユニオンにアポなしで行き、下手な英語で一生懸命伝えて、協力してもらい、悲しみのどん底にいたレナードを笑顔できたコンサートを老人ホームでさせてもらえた事。レナードは、私にとても大事な事を教えてくれた人たっだから。私の心に沢山の喜びをもたらしてくれた人だったから。私は絶対に彼を孤独にしたくなかったし、ありがとうを伝えたかった。必死だった。あの時の私の気持ちを思い出して何度も涙が出た。
KYOKOという作品には、村上さんのキューバという国と国民と、キューバの音楽に対する愛情と敬意があふれていると思った。
村上龍さんって、本質を見る目がすごく鋭いと思うの。というか、鋭い。私の1999年の老人ホームへのプロジェクト、を理解した人、してくれた人は、3人だけだった。もっともシンプルに、本質を見抜いたのは彼だけかもしれない。あのプロジェクトは、世のため人の為のボランティアでは無くて、私がただ純粋にその音楽を愛していたからやりたかった。それだけ。その本質の部分を元に、いろんなメッセージを込めた。
村上さんが、彼のメールマガジンJMMに、私について書いてくださった、文章は、私の宝であり、勲章であり、盾であり、重荷だった。私はその言葉にそぐう人なのか。そうじゃなかった時もあった。だけど、あの言葉に支えられ、自分を失いながらも、時として裏切り、時としておごり、時とし重荷となり、その言葉を読み返し、時としてその言葉にしがみつき、私は彼の言葉に支えられてきたと思う。
「アメリカンスタンダードポップスへの愛情と敬意があふれています」
私に対して、私の音楽に対して、私の音楽への想いに、否定的であったり、無理解だったりする人たちへの盾として、私は彼の言葉を使った。
やりたかったと思っていた事を成し遂げられなかった私、裏切り続けたかもしれない私は、彼の作品を意図的に避けてきたと思う。
KYOKOを読んだ後、キューバにどうして村上さんが惹かれたのか気になり、調べてたら、「全ての男は消耗品である」というエッセイが30周年で、全巻がセットになってたの。Kindleで。で、彼がキューバにはまりだした頃からの文を拾って読んで行ったら、私がキューバで感じた事と、龍さんがキューバで感じた事、キューバ音楽で感じた事、その後、NYで感じたこと、自分の中で起こったショック。私が言うと、本当に、本当に、アホかと思う位おこがましいけど、すごく似てるの。
村上さんがエッセイで書いているように、日本と対極の国。日本にはない、何か大切なものがキューバにはある。
昨日、朝まで、目やにがドロンドロンになって、文字が見えなくなるまで、そんな、何かを彼の文章の中に探してた。確認してた。
キューバに行く事に、不安はないのかと言うと、嘘で、仕事の事、お金の事、今後のアメリカへの再入国の事、ネットの事、言葉の事、今までやってきたAngels Swingの事←アメリカ関連、自分の年齢の事、体力、、、、いろいろあるし、なんで、キューバに行かなくちゃいけないか、解らない。解る事は、今の私はあの国に、非常に強く惹かれている事。でも、その感覚すら、何の根拠もない。
だけど、多分、私の感覚は、間違っていない。
村上さんの文章は、私の背中を押してくれたというか、自分を確認し、安心させてくれた。
私は、どうしても、あの国に行きたい。
あの国が見たい。感じたい。
あの国の音楽を体中で、細胞で感じたい。
彼が、キューバにはまって、20年位たってる。キューバも変わったし、村上さんも変わったと思う。私も変わった。でも、私が今の年齢で、今までの経緯の中で、これほどまでにキューバにひかれる事は、きっと、正しい気がする。正しいというより、当たり前な事なのかもしれない。
JMM(Japan Mail Media) 2000年5月
村上龍氏発行メールマガジン
Q:109への回答ありがとうございました。債権放棄に伴うモラルハザードという設問だったわけですが、米山さんからのご指摘にもあったように、モラルハザードという言葉が一人歩きしている感もあります。また、わたしは設問の中に「中小企業は恩恵を受けていない」と書きましたが、債権放棄という形ではなくても、信用保証協会の特別保証枠や民事再生法によってそれなりの利益を得ていることがみなさんの回答によってわかりました。
先日、九州に住む女性読者から、ある雑誌の編集部を通して一枚のCDをプレゼントされました。添えられていた手紙によると、彼女は中学生の頃、映画『グレン・ミラー物語』を観て、アメリカの「古き良き時代の」ポピュラーミュージックが好きになり、20歳でNYに行きます。アルバイトをしながら、学生ビザをキープし、大好きな音楽を聴きながら、約8年間NYで暮らし、同時にアメリカンスタンダードポップス(アメリカの流行歌)のボーカルレッスンも始めます。
そして昨年の暮れに、第二次大戦の頃のアメリカの流行歌を、その時代を生きたミュージシャンと共に自費でレコーディングし、そのCDをミレニアムのクリスマスプレゼントとして、アメリカ全土の要介護老人ホームに送ります。わたしがプレゼントしてもらったのは、そのCDだったわけです。著作権の関係でしょうが、そのCDは市販することができないそうです。アメリカ全土の要介護老人ホームへクリスマスプレゼントして送る、という彼女の行為をわたしは偽善だと思いませんでした。
彼女には、日本人である自分がアメリカのポピュラーソングを歌うことへの正統な疑問もあります。そして、「あなたたちの歌はまだ生きている」ということを伝えたかったという彼女のモチベーションには曇りがありません。
そのCDですが、わたしには好感の持てるものでした。「I’ll Walk Alone」に始まって、「Sentimental Journey」や「It’s Been A Long Long Time」などわたしの世代には懐かしい名曲が続き、最後には「White Christmas」が入っています。オーソドックスなアレンジで、オーソドックスな演奏で、そして歌い方も極めてオーソドックスで、アメリカンスタンダードポップスへの愛情と敬意があふれています。そして、かすかにハスキーな彼女の声は非常に可愛いと思いました。
その女性は現在、九州のある都市でラウンジホステスをしながら、自費レコーディングの借金を返しているそうです。
「借金は返すのが当たり前と考えている普通の人の常識によって理解できる説明が求められています。そして、方針の説明をするということは、同時に、結果について責任をとるということの表明でもあるのです」
児玉さんはQ:109の回答にそうお書きになっていました。
別にモラルハザードという言葉ではなくても、退廃でも不信感の醸成でも何でもいいのですが、債権放棄に関して説明がなく責任が曖昧になることのもっとも有害な点は、社会にあきらめのようなものが蔓延することではないかと思います。
ある言語学者は、コミュニケーションにはいくつかのフェイズがあるが、「自分はコミュニケーションを企てている」というメッセージを発したり受けたりすることがまず重要であると指摘しています。会話を禁じられている囚人が隣りの独房の壁を叩くのは、「コミュニケーションの企て」があることを示そうとするからです。自分はコミュニケートしようという意志を持っている、というメッセージです。一種のメタメッセージといってもいいかも知れません。
「借金は返すのが当たり前と考えている普通の人の常識によって理解できる説明」のメタメッセージが、債権放棄に関わる銀行や企業から発せられているとはとうてい思えません。
そういったメタメッセージが充分ではない社会は退廃します。どのように退廃するかは、この一ヶ月ほどの新聞の社会面を見るだけで充分でしょう。
Q:110
JMMも広義のインターネットビジネスだと思うのですが、JMMがこれからナスダックやマザーズで店頭公開を目指すと仮定します。その際、経営上、今後最も重要になるのはどういったことなのでしょうか? ちなみに現在JMMは基本的に広告収入だけで運営されています。
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村上龍●JapanMailMedia http://www.jmm.co.jp/