12月22日の冬至は、特別だとかいうので、朝日を見に関門海峡へ。一旦帰宅し、お昼間に巌流島へ。
巌流島が気になるんです。
島の上で、改めて、巌流島の歴史や、経緯をネットで読んでみる。
やっぱり、すごく気になるのです。どう気になるかは、また今度。
関門汽船と言う会社が巌流島行きの船を出しています。下関から往復で900円。トライアングルチケットと言って、門司港もいけるのり放題チケットが1000円。なので、巌流島に行く時には門司港にも行ってみます。
この日は、大連関連の場所に。
北九州市は中国の大連と姉妹都市で、大連にまつわるものがいくつかあります。と言っている私ですが、今まで全く大連には興味もなく、気にもとめていなかったのですが、満洲のアヘンを今調べてるので、もしや、大連は・・・。と。
満洲のアヘンが気になり出した経緯はこの記事ごろから。
- 歴史が歪んでるから、心も歪むのかもしれない・・・ 2025年12月17日
大連は海に面していて、満州への入り口として機能していたそうです。租界・・・?いくつかの国が行政自治権や治外法権を持つそうです。今改めてWikiで見てみたら、そっか、上海がそうか。で、どうしてそうなっていくかというと、アヘン戦争らしい。
もっかいちらっと書いておくけど、グラバーはマセソン商会の日本支社で、マセソン商会は、アヘンで大金を作るの。で、維新のバックはグラバー達で、長州五傑と言われる人たちのイギリス留学は、マセソン商会が費用や世話をしているの。グラバーとマセソン商会は頭のすみ入れておいてね。
大連は、日露戦争後に、ロシアから日本へ租借権が移ったそうです。

門司港のまずは旧大連航路上屋に。
私が18歳の頃は、ここは倉庫で、ハートカクテルの人の絵が描かれてて、夜に、よくここに車を停めて、関門大橋を見ながら缶ジュースを飲みながら話してた。あの倉庫は旧大連航路上屋だったのかと。
結構わかりやすい歴史経緯・・・なんだけど、あれ・・・「日本・世界の歴史」の始まりが、「大日本国憲法発布」からだ・・・。
あれ・・・門司港の歴史は、「門司港レトロ」の歴史は、ここから・・・か。
この、「旧大連、旅順の学校章」というのを見て、驚いた。こんなに、入っていっていたのか。言い換えれば、これらの学校に通っていた人たちは、敗戦後すごく大変な状況になったかもと。でも、大連はまだ、そこに港があって、すぐに日本に帰れそうだけど、満洲は・・・?。
ところで・・・
私が17歳か18歳の頃に、「門司港レトロ」というプロジェクトみたいなのが始まるの。今から30年くらい前。門司港にあった西洋が混ざってる歴史的建物などを、いろいろ、新しく作り始めた。30年すると、古い感じにもなってきて、なんか街に馴染んできて、いつの間にか「門司港レトロ」が観光地としてしっかり根付いてきた。
でもね・・・私は、欧米人向けの、特にアメリカ人をターゲットにガイドを始めようとしてるんだけど、この関門エリア、特に門司港と下関は欧米人の旅行者が少ないの。韓国、中国、台湾が多い。
なんでだろ・・・なんでだろ・・・と考えながら、歩く。とね、わかった。
明治維新を知っていくと、あれは、あるヨーロッパの勢力が、イギリスが・・・。関ヶ原の戦い以降不利な立場に置かれていた長州藩やその下層武士を育てて、江戸幕府を転覆させるんだと思う。それは、多分、そのやり方は今も残っててカラー革命やアラブの春とか、ウクライナ戦争もそうで、常套手段だと思う。
南米のパラグアイに行った時に、イエズス会、宣教師たちがきて、その後スペインが国を占領して、植民地支配をすることに合点した。
キューバにも住んでみたでしょ。だから、植民地支配というのを考えることが多かったの。
で、今、明治維新を調べてると、他の国でやってきた植民地支配と違う形のやり方を、日本ではするのよ。
日本人を使って、植民地支配をする。の。
他の国は、直接スペインやイギリスが植民地支配をするでしょ。日本は違うの。で、そのシステムの先に今の日本があるのよ。ほんと。
その、一見、自分たちでやり遂げた革命みたいな明治維新、大日本帝国、新しい形の植民地支配の名残、というか、欧州(特にイギリス)を真似て、欧米列強とかに仲間入りしたと思い込んで、良かったって思ってるのが、「文明開花」とかになったんだと思う。
「名残り」というより、わざわざそれを作っちゃったんだよね。
私は、太平洋戦争が終わってから今までの、日本人の心や、感情面をすごく考えてきたでしょ。それでね、どうしても「敗戦メンタリティ」みたいなのがすごくあるの。特にGHQの占領時代の教育を受けた人から私たちの世代は強くある。でね、多くの場合本人はあまりそれに気づいてないの。ウォーギルトインフォメーションプログラムのせいか・・・成果かも。
韓国、中国、台湾、あと、インドネシアとか、そういうアジア系は門司港レトロに来るんだけど・・・、彼らも、ある意味、植民地支配されてきたり、敗戦を味わったりした人たち。
どれだけ悔しいと思っても、この「敗戦メンタリティ」はすごく根深くて、巧妙なのよ。それに苦しんで、葛藤してきたのが、村上龍ね。
私は、それこそ、ジャズというか、そういうのに関わってきたでしょ。歌詞が分からないのに、いいとか、悪いとか、どうとか、ああとか、ジャッジする人が多いの。で、結局ね・・・ジャズって貧しくて、差別されてきた黒人たちの音楽でしょ。だけど、戦後に多分GHQが意図的にエンターテイメントを取り入れて、またアメリカの文化を日本より上に置いたというか、憧れさせたというか。あの頃に、エンターテイメントが必要で、大急ぎで日本のミュージシャンを育てたの。今でも時々、「あの人は、基地で歌ってた(から本物)」という感じのことをいう人がいる。んだけど、当時のアメリカ人が、日本人の歌が酷かったと言ってるの。声はいいんだけど、意味が無茶苦茶で酷かったと。だけど、みんな女の子と踊りたかったからそんなことはどうでも良かったと。
そのくらい、敗戦メンタリティって根深くて、今も作用していたりする。
私たちが、日本の植民地支配の名残のある街にわざわざ行きたいか・・・というと、すごく微妙だと思う。でね・・・門司港レトロの場合は、その巧みな支配の仕方の構造が多分理解できてないから、わざわざ造っちゃったんだよ。それが良いことだと、思ってる、思い込んでるから、そうできたんだと思う。

西洋に憧れた日本人やアジア人を対象にするなら、門司港レトロは観光地として良いと思うけど、欧米人にはあまり魅力を感じないんじゃないかと。ましてや、30年前に造ったでしょ。ディズニーランドのお城のようなものじゃないかと。ディズニーランドは夢の国を作ってみたけど、ここは、形を変えた植民地支配の歴史なんだよ。
ひどいことを書いてるようだけど、多分、本当のことというか、本質的なことだと思う。
長年、感情解放をやってきて、本当のことや本質と向き合いたくない人たちをたくさんみてきた。本当の気持ちや本質に向き合わせるというか、気づかせていくことがどんなに難しかったか。だから、ある意味、仕方ないことでもあると思う。
こうやって、また、ここでも、観光でも、地域でも、孤立して、我が道を一人で行くことになるんだと思う。な。
冬至の日、
帰宅後、ふとエックスを開くと、「満州アヘンスクワッド」の漫画家の鹿子さんが、お亡くなりになったという訃報。37歳だったそうです。
時間がある時、頭に余裕がある時、ネットカフェに行って、「満洲アヘンスクワッド」を読んでいます。その事はまた今度ね。
ここ、関門は、歴史を感じると、気づくと、すごく面白い。
今日はこの辺で。
アイキャッチの写真は、門司港で作られてるビール。この日は車じゃなかったから、飲んでみたよ。飲みやすくて美味しかったよ。



