半年前に、
あれ・・・明治維新がおかしい・・・。と感じた。
同じ頃に、関門海峡がおかしい・・・。と感じた。
平家物語のことを調べたいと言いながら、違う方向に行ったと感じてる人もいるかもだけど、全部繋がってるの。
大事なことは、「感じる」こと。
「感じた」ら、その違和感を探っていく。
「感じる」方向に、動いていく。
朝、「感じた」ことや、場所に行く。
何も確信はない。
多分、私は、子供の頃からそうやって感性で生きてきたと思う。それは、学校や社会では「困った」子だった。
学校や社会でやっていけるように、努力はした。だけど、そうやってると気が狂いそうになる。
56歳・・・。いろんな所に行って、旅したし、暮らした。で、関門に戻ってきた。
つくづく、自分はこの場所、この時代を選んで生まれてきてたんだと感じる。
私が、戦争のことや、歴史のこと、特に、学校教育や通説じゃない歴史に気づいたことを書くと、スルーする人たちは少なくない。近年はできるだけ影響を与えないように、私の言っていることを鵜呑みにさせないように気をつけて書いてる。
魂のことをやってて気づいたのは、自分で気づいたこと以外、学ばない。魂の学びが起きない。
言われたこと、誰かが言っていること、おしえてもらったこと。外から入ってきたものは、多くの場合魂に刻まれない。だから、いかにその人が、ふっと、気づくか。いかに気づかせるか。
一番大事なことは、自分と繋がること。自分より外とのつながりを信頼する人が多い。
だから、社会や学校が成り立ってるのだとは思う。
でも、その「社会」の構造がおかしかった、おかしい、ということに、人々は気づき始めてる。で、学校はその社会を作るための訓練所というか。準備所。
私はそれで良いと思ってた。だって、社会のやり方、ルールがわからないと、身につけてないと、雇ってもらい、最低限の収入を得ることすらできないと思ってたから。若い頃は確かにそうだった。そして、その経験はそれはそれでとても大事なことだったと思う。
関門地域のガイドになろうと思う。それで、調べるために、いろんな観光地のような所に行く。
歩いていると、そこにあるものを見ると・・・一つ一つに、そっか、サイコメトリーじゃないけど、いろんな人たちの気持ちとか、その土地が持つエネルギー、歴史のエネルギーみたいなものが残ってる。それは、「感じる」という見えないものだけじゃなく、一つ一つの点を繋げていくと、確かに「おかしい」が、図になっていく。
そう、私がこんなこと、戦争や歴史のことを発信しても、結構スルーされる。
だけどそれで良いんだと思う。結構スルーされるだけで、誰かが見てるの。リアクションしてくれる人もいれば、多分ただ黙ってみている人もいると思う。嫌だな、と思いながら、スルーする人もいると思う。でも「嫌だな」と感じてくれたら、それは、頭のどこかに、私が発信したものが、残る。その人が、何かをきっかけに、私が言っていたことが何かとつながって、「あれ?」と思って、調べ始めたら。それがその人のタイミングなんだと思う。
下関市では、4月から水道代が値上がりする。今まで住んだ所に比べると今でもすでに高いんだけど、更に上がる。多くの人は、口を揃えて、「下関はダメ。仕事がない」という。その子供達はほとんどが県外に出る。水道代が上がるのも頷ける。
なんで、こんな所に住んでるんだろう。。。とか、時々考えるけど、今調べてることは、下関の中に入らないと、住まないと、地元の人と関わらないと見えてこないことがいろいろある。
下関に限らず、北九州を含めた「関門」という地域が、近代史の中でどれだけ重要で、今も下関というか、長州のシステムが政治の根幹にあると感じる。
下関と門司は、狭い海峡を隔ててすぐそこだけど、藩が違い、今も見えない塀、城壁というか、あるように感じる。
幕末から明治維新の歴史を知っていくにつれて、もう、日本は取り返しがつかないところまで来ているのだと感じた。
「中国が」というが、アヘン戦争頃からの歴史を知ると、イギリスやその後に日本への思いは根深いのだろうとも思う。アメリカやカナダが中国からのフェンタニルというドラッグで酷いことになっていたらしいが、アヘン戦争の歴史を知ると、何も言えない。アヘン戦争で得たお金が後ろ盾になって、日本の明治維新が企てられる。
私はもともと、よく嫌われる。
小学生の時にひどいイジメにあったから、下関の中学に行った。
北九州のミュージシャンにも結構やられたから、ニューヨークに行った。
家族に排除されたから、キューバに行った。
正直とか無邪気は「社会」では困るみたい。でもおかげで、世界は広がり、孤立することに慣れた。孤独や孤立を恐れなくなると、結構強くなれる。
でもね、今の私に見えてるのは、もう、嘘がまかり通らない時代が来ていると。そして、もう日本は取り返しはつかない所に来てると。
誰が悪い、何か悪い、政治が悪い・・・そう思って、感じて、言っている限り、取り返しがつかなくなった日本で生きていくことは難しいと感じる。
歴史を掘り下げていくと、「誰が悪い、何か悪い、政治が悪い」だけでは済まない。知らなかったから、得られた、利点も多くあると思う。そして、その利点や有利性を得るため、守るために、みてこなかったもの、排除したものもいろいろあると思う。
日本が取り返しがつかない所に来てて、この先、すっかり乗っ取られても、世界でそれを本当に憂う人は、ほんの一部で、本気で救おうとする人はいるのだろうか。遠くで戦争があって、いっぱい死んで、悲しんで叫んでも、私たちに何もできなかったように。遠くの世界で起きていることでしかなく、私たちは、食べ物を食べ、車に乗り、暮らしてた。
遠くの国で何かあっても、そんなもの。
だけど、どうしてそうなってるのか、何がどうなってるのか・・・そういう「構造」を知ることで、私たちは、少しだけでも、冷静でいられるのかもしれない。真っ暗なところでは不安だけど、光があって周りが見えてたら、それほど不安じゃなくなるように。
見えない、わからない、ということは、人間の感情にすごくすごく作用する。
もう、日本は、取り返しはつかないと思う。それは、多分、幕末くらいからがいよいよ本腰の乗っ取りの開始で、多分もう最終段階にきてる。今更、自立は非常に難しいと思う。
それでも、その構造(歴史)を理解しているだけで、不安は少し減る。
下関は、非常に重要な場所。だけど、ガイドの会の人たちと話していても、歴史認識は違う。だから、小出しに、「あれ?」と感じたことを、何気に言ったりする。
ここ、関門。特に下関が内側から、気づいていかないと・・・。そう感じてる。
自分のことを誰か他人に指摘されるのは、嬉しくないように、下関の歴史のことを外部の人に言われたくないと思う。
ここの蓋を開くことが、もう取り返しがつかなくなった日本で・・・開国以降の日本を知る、整理することで、理解納得し、新たな日本の一歩を歩むための力になるようにも感じる。
私が誰かを影響しないように。私に感化されないでください。
自分の中で「あ、」「はっ」としたときに、私が書いていたことを「ふっ」と思い出して、自分で調べてみてください。
自分の中から発された気づきのエネルギー以外は、魂に刻まれません。本当のその人の力にはなりません。

