今日は旧友みっちゃんがやっているイベントに【SILeNCe SPeAKs】行きました。というより、セラピストで参加だったの。突然、連絡が来てね。場所は12丁目のアヴェニューC。イーストビレッジ。私が住んでた頃はこの辺りはアルファベットアベニューと言われ危険なエリアだったの。今はキレイになったし安全になったの。
Silence Speaks
沈黙は語る。
って事かな。
日本人だし、言葉の行間の「無」の中にある言葉というか、しゃべらない事で空気の中で何かを伝えたり、静寂の中から生まれるものがイベントの主旨だと思ってた。。。ら、大きな間違いだった。
結論までの道のりが長くなるので、先に結論をいうと、アフリカ系の音楽やダンスってこうやって産まれ育ったのかも。と、いう事に気づく目から鱗の落ちるイベントでした。
みっちゃんとの出会いは20年前位。
同じ店でアルバイトしてたの。
彼女はボストンのバークリーで作曲を専攻してたのかな。彼女とはミュージシャン的な感性的な話をよくした。
私の中で唯一アーティストとして認めてた友人で(←アタシ何様?)、かなりイってる感性で曲を作ったりプレイしたりしてたの。どうイッテルというと、説明できないんだけど、独自の音楽世界持ってて、演奏も感性もやばいの。音に乗せるエネルギーも独自でしっかりしてて、半端ないの。で、ちゃんと伝えたい、表現したいテーマがある。
彼女がアルバイト先の店をやめて、ちょっとお金に困ってた時、一緒に地下鉄の駅でパフォーマンスしたりもした。それから彼女は一人で地下鉄の駅で、太鼓で結構稼いでたり。私が自由で予想がつかない変人と思っている人もいると思うけど、彼女のワクのなさ、自由さ、イカレ加減は、私の非じゃないの。
で、今日のイベント【SILeNCe SPeAKs】。ね。
まずイベントの間は、しゃべっちゃダメなの。ようがあれば、ホワイトボードに書くの。集まってるのは、色んな人種。
太鼓とか、カンカンとか、おもちゃとか、適当にあって、適当に誰かがたたいたり、その辺にあるもので、適当に音出したり。映像があったり。で、日本人が踊ってた。みっちゃんも踊りだした。何の踊りか全く分からないの。で、なんか太鼓とか、カンカンとか適当に回ってきたから、適当にたたいてみたり。
全く、意味不明。
途中で、一服行ったら、隣にキューバのカフェがあったので、そこでチリの女の子たちとしゃべって、しばらくして戻ると、人も増えてて、相変わらず、よくわからないけど、踊ってる。
マイクに、みっちゃんが、
きゅぅ~~~~。とか、ぴゅぅ~~~。とか、くぅ~~くっくっっくっ~。とか。全く意味不明の声を出すの。
マジ、意味不明。
途中、マイクをみんなに回すんだけど、私のところに来た時、どうしていいか解らないから、お断りしたり。で、相変わらず
一体、このイベントはなんなの?
きちがい?
ヤバい所にきた?
みっちゃんは友達だけど。
マジ、何なの?
途中、Seina、寝落ち。
目が覚めると、誰かが太鼓とか叩いたり、まだ踊ってる。
太鼓も、別に、うまいとかじゃなくて、誰でも適当に音を出すという感じ。
で、しばらくして、見たことない楽器もって黒人のお兄さん登場。その楽器の音色が、なんかいいのよ。これは、何だろう?なんだろうと思いながらも、声出せないし、聞くに聞けない。
(カメルーンの楽器だそうです)
で、その楽器に合わせて?誰かが太鼓をポンポン叩いてたり、おもちゃの笛をぴ~~~~って吹いたり。
で、みっちゃんが、声で、変な音出す。マイクを向けられて、それに誰かが答える。
マジで、これはなんなの!?
踊りもみんなスタイルも違うし、型もない。
参加しようにも、本当によく解らないし、どう踊っていいか解らない。
サルサ習ってるのにね(笑)解らない事は、変に合わせて参加しないし、ただ眺める。
その時に、思ったの。型やルール、スタイル、指針、がないと、私は踊れない。マイクがまわってきても、歌詞が無いと歌えない。私って自由なようで全く自由じゃないの?
ダンスを見てると、全く、違うスタイルなのに、会話が始まる。会話が行われてる。
もしかして、アフリカって、日本ほど多く種類の表現に使う言葉とかなかったんじゃないかな。って、思ったの。だから踊りで会話をする。意思の疎通をダンスで行うんじゃないかな。って。反対に日本は色んな情緒や細かな事を言葉で伝えるもしくは音ではない「間」で伝える事が出来る文化というか。
アフリカから、奴隷として連れて来られて、文字を学ぶこともさせてもらえなかった人たち。彼らは踊りや音楽で会話をしたり、気持ちを伝える事をするようになったんじゃないかな。と。
音を誰かが出すと、誰かが音を出す。そこから色んな会話やコミュニケーションが行われ、細かなニュアンスやタイミングをリズムの中に入れたんじゃないかな。とか。奴隷だった人たちは、立場上言葉でいう事が出来ないも、音や踊りで会話してたり、伝えたのかも。と。動物的と言えば動物的かも。でも、人間は動物だよね。そして、コミュニケーションや対話は人間にとって無ければ生きて行けないもの。だからそういった手法が手段として育ったというか。
日本人は、踊りや太鼓で会話する必要もなかったし、言葉、行間、間、を表現し読む文化。全く違う。盆踊りは、みんな輪になって同じ踊りをして、楽しむ。お神楽は奉納するような感じ。アフリカ系のルーツのある音楽や踊りとはコンセプトが全く違うというか。本質が違うというか。
目から鱗だった。
私ジャズ歌手だという事になってるけど、スキャットもインプロビゼーションも殆どやらない。歌詞が無いと歌えないの。反対に歌詞があれば、適当にメロディ付けて歌えると思うな。
私が自分が歌う歌として、スタンダードナンバーを選んだ理由は、歌詞だったの。ジャズのリズムやメロディが好きだったわけじゃないの。ユダヤ人の書いた詩の感性が好きだったの。私は歌詞を歌う事、語る事が好きなの。歌詞を言葉として、私のフィルターで語り、言葉に見えないエネルギーを乗せる。言葉が生きるように歌うの。言葉の間にある、間、に見えない言葉を乗せる。
私はとっても日本人だと思った。
色んな事が目から鱗だった。
主催者の一人は、ダンスやってるのかな、って思って、「ダンスしてたんですか?」と聞くと、そうだった。私が今日の発見を熱く語っていたらしく(笑)、その通りだと、言ってくれた。
でも、私がイベント中に寝てたのはみんな知ってたらしい(笑)が、イベントのポイントや本質を理解した事をすごく喜んでくれてた。彼女のご主人はコロンビア人だったかな。ON2サルサ(私が習っているNYスタイルのサルサ)も踊るけど、基本的に踊りに型はないと。そうだと思う。でも、型やルールを形にしてくれるから、私達でも踊れる。本質的には違うと思うけど、そうやって異文化に触れ、異文化を知り、違いを知り、自分を知る。
それぞれの国には、それぞれの歴史があり、その中で文化が育つ。
この半年、なんで、なんで、なんで?の繰り返しで、中南米の歴史や文化を知ろうとした。違和感は、何かを教えてくれる、何かを知るきっかけでチャンスだと思う。
日本人には日本人の歴史、風土、習慣があり、その上に今の自分がある。私がどんだけうまく歌えても、本物の本質的なブルースは歌えない。もしも、どれだけうまく踊れても、歴史や習慣、風土にルーツを持ったサルサやマンボ~は踊れないと思う。それでいいんだと思う。
でも、そういった事を、楽しんだり、知ったりすることで、世界を深く知るきっかけや鍵を見つけられるんだと思う。
昔からよく思うの。
音楽は、私に、全てを教えてくれると思う。色んな事を知るきっかけや鍵をいつも与えてくれる。
戦争の事も、歴史の事も、ユダヤ研究も、中南米研究も、自分が日本人である事も、人間の心の事も、いつも音楽が教えてくれる。
途中まで(ほぼ終わりまで)本気で、わけの分からない、イベントで、困ってて、実は全然写真撮ってないのよ。なんで、日本人が踊ってるの?って思ったりもしたけど、アフリカルーツの人たちが踊ったり、奏でてたりしてたら、気づかなかったかもしれない。全く違う日本人たちがいろんな国の人たちとやってた違和感が、最後に、ぽんと気づきを与えてくれたというか。いやぁ、みっちゃん、あんたは、さすがだわ。