パラグアイからキューバに戻ってきました。

パラグアイからキューバに戻ってきました。

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エッセイ キューバ パラグアイ


ラパスの農場

ラパスの農場



キューバに戻って3日。
パラグアイに居る間、ブログが滞ってごめんなさい。環境が変わり、色んな事があると落ち着いて書けなかった。


今回キューバに立つ際に、私の中のテーマは「日本」だったの。歴史を学ぶにつれて、戦後、アメリカに毅然と出来ない日本が悔しいと思い始めたの。でも、アメリカに小国が盾をついたらどうなるのか、それを見て自分を納得させたかったのね。

観光で来るのと、暮らしてみるとでは違った。暮らしたと言っても、学生ビザでの滞在で、キューバ人の暮らしと観光客の間のような感じ。キューバで暮らしてみると、価値観や常識の違い、そこから来る認識の違いなどで戸惑った。何が違うんだろう、どうしてだろう、って、いろんな本(KIDLE)を読んだり、幾晩も幾晩も考え、日本人のアイデンティティや、キューバ人の歴史や、ヨーロッパやアメリカの宗教観やそれがどう国民と国体に関係しているのか、ベッドにもぐって、グルグルぐるぐる考えてた。

キューバ人の中で、かなりのマイノリティとして暮らしていると、キューバ人の常識が、ここの常識。日本人としてはおかしいはずの事が、それを受け入れないと少数派としては暮らしにくいというか、少しずつ約束や時間にルーズになったり、じっと考えないと、少しずつ自分もずれていく。自分がずれていくというか、周りの日本人ももずれている。

郷に入れば郷に従え。

でも、従いたくなかった。
だって、私から見るとおかしいんだもん。

従うと、自分の中の大切な物が失われていくような気がしたの。

厳しくしつけられ、親や社会に反発をしてきたと思う。日本人の割には怠け者だけど、結構誠実だとは思う。←自分で言ってご免。
他人への理解や、物事の理解の仕方は、西洋人とは違う。嫌だ嫌だと言いながらも、私の中には「日本人」が強くあるの。

日本と言う国や社会と、両親が植え付けてくれた何かは、歪なりにも、私の中で「日本人」が育ってるのね。海外に出ると、私にとってのそれがアイデンティティでもあるんだと、と感じた。

18歳の時に、スナックの夜のバイトを始めたの。
周りの年上の友達が「しょうこが、変わってしまう」「流されて変わってしまう」と、心配した。

ちょっと怠け者な私にとって、水商売の時間帯はちょっと都合がよかった。そのうち、ニューヨークの旅費や生活費を稼ぐために日本でもニューヨークでも水商売をしていた。結局32歳位まで水商売をした。

私が変わったか。
私の中ではあり得ない常識や嘘がいっぱいの世界の中で、ちょっと流されてみたり、受け入れてみたりしながらも、本当に悩んだしきつかったけど、結局私はみんなが心配したようには変わらなかったと思う。正直あまり良いホステスじゃなかった。

キューバで自分のアイデンティティや信念が揺らぐのは、あの頃の感じに似ていた。
自分の中にある、個人的でもある常識や良識が周りで起こっている事との間で摩擦が起き、そんなに強くない私は混乱をする。混乱をしながら、悩みながらも、自分の中にある頑固な何かが勝る。

私は、逃げるのがとても上手で、今回はそんな混乱の中でパラグアイの日本人社会に逃げた。

私のブログを長く読んでくださっている方は、知っていると思うけど、私はアメリカ寄りの考えを持った人だった。音楽活動を通じて太平洋戦争(大東亜戦争)の歴史に巻き込まれていくうちに、歴史の色んな側面を知り、色んな疑問を持つようになった。多分、2~3年、私自身とても混乱していたと思う。

でも、結果、あの頃の歴史を私なりに無我夢中で追っかけた事で、戦争や平和といった事や、国際社会や、世界の仕組みを少しだけだけど理解できるようになったとも思う。日本人としてのアイデンティティの大きな変換期でもあり歴史を学ぶこと、それも最低3方面からの観点を学ぶことが大事だとも思った。

世界は私が叫んだところで、変わる様な仕組みじゃないし、私の頭では如何しようも理解できないすんごい物だとも思った。

数年前からは世の中は「グローバル化」「グローバル化」と、言う。

今回パラグアイでショックを受けたのは、パラグアイでの景色がアメリカ合衆国の景色にとても似ていた事。私が長く住んだニューヨーク、マンハッタンのイーストリバーの川向うにクイーンズ区というのがあるの。そこの地下鉄7番線辺りの景色にとても似ているし、田舎に行ったらそこもアメリカ合衆国の田舎のような風景。ガソリンスタンドはアメリカのの様。初日に行ったショッピングセンターは多くのアメリカ資本のお店が軒を連ね、アメリカに居るようだった。でも確かにパラグアイ製の物よりも魅力的でもあるのは否めない。

アスンシオンの町で。クイーンズと殆どいっしょ

アスンシオンの町で。クイーンズと殆どいっしょ



アスンシオン

アスンシオン


幾人かの人の家に滞在していると、テレビがついていた。
沢山のアメリカのドラマや映画がスペイン語やポルトガル語に吹き替えられて放送されていました。

キューバでも感じていたのですが、ドラマや映画を見て、アメリカの生活を追っかけたり真似たりするんだと。

アメリカンスタイルの生活を追う、真似るという事は、言い換えれば、商業的にもいろんなアメリカな物が売れる。ヨーロッパの歴史や文化のある国はまた違うかもしれないけど、ラテンアメリカは見事なターゲットだとも思った。

ふと考えると、世界中の多くの人々がジーンズを履いています。
もう、どこの国の人とか解らない。
みんなジーンズを履き、Tシャツを着て、ダウンを着て。同じような服を着てる。

ふと、自分を見ると、自分もそうだし、私たちはいつからベッドで眠り、テーブルで食事をするようになったのだろうと。ドラマや映画がすごいプロパガンダだと改めて気づきました。

そして、私たちは何かを追っかけたり、時代に流されながら、着実にグローバルになって行っているんだと思ったの。言い換えれば、それぞれの国が持つ文化や個性が解らなくなって行っている。

もしかしたら、世界中の景色が同じような、似たようなものになるのかもと思うと、なんだか悲しかった。

でも、私こそ、一番にアメリカを追い、両親は自家用車を持ち、ベッドに寝て、お膳の無いテーブルの生活をして、アメリカの音楽やドラマ、映画を見て来た。

今更、めんどくさい和服を着て暮らしたいとも思わない。
もう、引き返せないんだなと思った。

そう、結局大衆は、プロパガンダに乗せられる。

昔、アメリカは映画と音楽と武器以外に何が輸出されるんだろうと考えてたことがあったけど、映画やドラマ、音楽はすんごいプロパガンダだったんだ

お見事(唖然)

今回パラグアイで受けた一番のカルチャーショックはこれだった気がする。

角度のヤバいベンチ

角度のヤバいベンチ


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今朝からちょっと熱が出ました。
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