そう、今までより、もうちょっとだけ倹約な日々をする。元々比較的倹約家(ケチ?)だったとは思うけど、倹約の意識を大きく変えた出来事がキューバであったの。
キューバに滞在中(2015年)は、部屋代は法律の兼ね合いもあり、外国人価格で月に400ドルだった。これは、旧市街といわれるエリアのど真ん中で、毎日仕事の為にインターネットをしにホテルに通える場所だからちょっと高いのね。それ以外は、食事は一回、80円~240円程。時々知り合いに食事を作ってもらったら、350円位払わせてもらってた。
交通手段もキューバ人が使うバスや乗り合いタクシーを使うのでだいたい5円~120円程。キューピーをやってたから、それで時々クラブに行くのと、帰りのタクシー代(タクシーは高い)と、インターネット代が大きな出費。
2カ月近い滞在でキューバで使ったお金はビザの延長などなども入れて、20万円弱だったとおもう。一応、25万円くらい持って行ってた。
以前に書いた、友人(←これ、ダニー)のお父さん72歳と19歳の妹。と、その息子1歳。
彼らは、私にご飯を食べさせてくれた。(キューバ便り⑳ソウルフード)
1CUC=120円 / 1USD=120円 程で計算するね。
(社会主義国のキューバの平均月収は20ドル程らしい)
パパの年金が7CUC(約840円)
娘の生活保護が6CUC(約700円)
多分、マイアミの娘からの仕送りが、月に約30~40CUCだと思う。
ニューヨークに住む息子は仕送りしてなかった。
その親子が住んでいた家は、小さな薄暗い1DKで、貧しいんだ、、、と思った。
ある日、彼らがその家を出なくてはいけない事を知ったの。
次に住む家は、パパが以前住んでいた、パパの家。
パパは以前すごいアル中だったの。そのパパの家は、パパがボロボロだった時の家で、家も半端なくボロボロだった。
こんな所に、どうやって引っ越して暮らすのだろうかと思った。
その家を出る時、取っ手の無い玄関扉を閉めながら、「最初に必要なのはこのノブだわ」と、娘が笑って言った。
私「ねぇ、そのノブって、幾らくらいするの?」
娘「5CUCか7CUCかしら」
(↑多分、回すノブじゃなくて、引っ張る鉄製の物。どこかの国から入って来たものだからキューバの物価的にはかなり高い)
私「それ買いに行かない?ねぇ、パパ、私にそれ買わせてもらえない?」
父「しょうこ、心配するな。タニアとダニーが助けてくれる。」
娘「しょうこ、ごめんね。キューバ人は時々難しいの」
キューバ人としての誇りがあるらしかった。
自分の家に帰ってから、何度も何度も、考えた。キューバを去る日まであと2週間ほどだった。
マイアミの娘タニアは2年前にキューバを離れ、スーパーでレジ打ちをしているらしく、お金に苦労してるだろうと察しはついていた。ニューヨークの息子(ダニー)は送るはずがない事は理解できていた。
所持金の入った封筒を取り出し、お金を数えた。
数日後、ダニーのお母さん(離婚してる)に相談に行った。
パパの家の事情を説明し、お金を預かってもらって、もし本当に彼らがどうしようもなく大変だったらそのお金を渡して欲しいと。
お母さんは、
「そのお金を預かっても、どうやって渡すの?(←逢いたくない)。お金を渡したら、彼はまたお酒を買ってしまうわ。渡したいなら自分で渡しなさい。」
あと1週間しかなかった。
私は何度も所持金の入った封筒を取り出し、お金を数えた。
もし、私がお金を渡したら、その事で負い目を持たないか。
私はその事で彼らを下に見てしまわないか。
でも、あの家にはどう考えても住めない。
幾らあれば、助けになるのだろう。
何度も何度も考えた。
200ドル。
この額が多いのか少ないのか、解らなかった。
でも、私の脳裏に浮かんだ、私にできる金額は200ドル(約24000円)だった。
日本やニューヨークの友人との食事や付き合いをしなければ、すこしの贅沢を止めれば、浮かせる事が出来る金額だと思った。
パパが受け取らない事も解っていた。
スペイン語で手紙を書いた。
パパがどうしても受け取れるように。パパのプライドを傷つけないように。
娘に電話をした。
「ねぇ、突然だけど明日家に行ってもいいかしら?」
翌日家に行くと、食事を用意し、こんな風に私を迎えてくれた。
食事が終わって、パパに手紙を渡して、封筒を渡した。
パパは手紙を読み、わたしを見つめて、抱きしめて、身体を震わせて泣いた。
200ドルで何が出来るのか私には解らなかった。
数週間後、マイアミに住む娘をたずねた。
あの200ドルで、セメントを買い、電気を引き、工事をして引越しが終わったと。今月はお金が少し余ったので仕送りは要らないと言っていたらしい。
あの200ドルは、私達の感覚では10~20万円程の価値があったのかもしれない。
幾人かの友人に、私もお金をそんなに持ってなくて大変なのに、よくそんなことやったよね。と、ちょっと呆れられたりもした。
あの頃、よく考えた。
「私はあの200ドルで何を買ったのだろう・・・」と。
多分、お金で買えない経験を買ったのだと思う。
私はこの経験から色々な事を悩んだし、考える機会を得た。ほんの少しの事だけど、こんな私が誰かを助ける事が出来たのかも、とも思った。
ふた月程前、パパの友人からメールが来た。パパが病気で立つ事すらできなくなったと。
ダニーとは修復不可能なほどの大喧嘩(←絶交)をしているので、パパに会いに行く事は難しいとも思う。そもそも、3月に行って、間に合うかも解らない。
ひとつ解っている事は、ダニーのパパとの出会いは、私の価値観を大きく変えた出会いになったとは思う。色んな意味で。
この件以来、私は友人たちとの付き合いで、外食をしたり飲んだりする事を殆どしなくなった。
付き合い悪くて、申し訳ないが、多分、そろそろ、あの200ドル分、約24000円は倹約が出来ただろうとも思う。が、私の倹約生活は続く。