昨日、ふと、自分の心を見つめていた。
こんな状況の中でも案外静かにしている。よく言われる、静かな水面。そんな感じ。
時々、石が投げられたり、鳥が騒いだり。
そんな感じで何かに影響されて不安になったり、哀しくなったり、怒ったり。それが私の心の水面で起きていると自分で比較的客観的に感じる事が出来る。
昔を思い出してみた。
20年ほど前の私の心。
私はいつも不安で、誰かに影響され、そのくせ自我が強くあるので、自分の心の中ですぐに大きな葛藤が起こってた。そんな時、私は自分の部屋で枕に向かって叫んだり、ベッドを叩いたり、酷いときはベッドを包丁で刺していた。とにかく自分の中で爆発しているエネルギーをどこかに吐き出さないと私は壊れそうだった。過食症でもあり、目的意識の無い様な大量の食いを行い、その後トイレに入って指を突っ込んで吐いていた。
「自分」をどうハンドルしたらいいのか、「自分」ほど面倒くさい存在は無く、「自分」と居る事が苦痛で、でも「自分」からは一生逃げられないし、私はこの「自分」と二人三脚で生きていくしかない。
今から約11年半前、私は離婚をしたの。37歳だったと思う。
結婚していた相手は至って普通の人で、良識のある、嘘を言わない人だった。でも私は全く幸せじゃなかった。それは彼のせいでもない。私自身の抱えたことがらのせい。そして私は彼との生活の中で「自由奔放な自分」を殺して生きてたの。ある時期からそのストレスを彼にぶつけていろんな事を彼のせいにして、彼を傷つけていった。彼の悲しい顔を見る事は嫌だったけど、それ以上に、そういう事をやっている自分が嫌だった。だから離婚する事にした。
その頃、ピアノを少し習っていたんだけど、ピアノを弾きだすと暫くして色んな過去の感情や出来事が浮かんできて、ピアノに怒りをぶつけて鍵盤を「バーンッ!!」って激しく叩いた。自分の事が嫌でしょうがなかったんだと思う。
離婚後すぐにニューヨークに行ったの。
荷物はトランクルームに入れて、40万円程握って3か月の滞在。とにかくニューヨークに行く事(戻る事)が自分をリセットするポイント(場所)だと思ったの。苦しい事もいっぱいあったけど、一生懸命「私」や「自分」を生きようとしていた時代の場所。
でも、ニューヨークに行っても、手持ちのお金もあまりなく、もう友達もあまり残っていない。日本人の親しい友人は二人ほど残ってた。その一人はヨガを教えていて、また私たちは出会った頃から音楽のアーティストとして、またスピリチュアルな事を話せる友人だった。彼女は忙しい中私をよく気遣ってくれた。
とりあえず、ヨガや瞑想をしたりして過ごしてた。でも、そのうち部屋に引きこもる様になるの。ある時、3日ほど誰とも話さない、そんな日が続いた。始めの3日間は適当にネットをしたり、ヨガや瞑想をして過ごしていたんだけど、3日を境に突然色んな過去の出来事や、怒りや悲しみや、死にたいとか、訳わからない感情や記憶が襲って来たの。殆どが思い出す事も無いような、忘れていた事柄。その中で特に印象的だったのが、小学生の頃の苛めに遭った頃の記憶や感情。本当にもう自分の中で終わっていると思っていた事なのに、その頃の記憶や感情や私を虐めた(暴力的)人たちの顔や場面が鮮明に襲ってくるの。
静かに座って、それをどうにか処理しようとするけど出来ない。その感情の記憶と出来事を体の中からなんとか出さないとと、げろを吐くように、体から出そうとした。そんな暮らしを1週間ほど続けた頃、すっきりしたように落ち着いた。そういえば・・・その頃から人の心や思考を感じ取る事が出来るようになり始めたの。歩いていて、ふと全く知らない歩いている人の心にチャネルを合わせるの。そうすると色んな感情や物語が見えるの。その時に、どんな人にもいろんな物語や事情、感情がある事をに気づいたの。自分だけが運が悪く、不幸なんじゃない。みんなすんごい色んな事抱えてるんだ!って。
その時のニューヨークでの3ヵ月が私の感情解放を知る、探求するきっかけになったのかもしれない。