誕生日に特別は、何もないです。
いつもと何も変わりない日を過ごそうと思いながらも、1週間ほど前に買った念願のシャワートイレを取り付けなくちゃと思い、ホームセンターに行き、モンキーレンチを買い、便器にしがみついてシャワートイレを取り付けました。便器にしがみつかないとできない広さなんです。
今の日本ではたかがシャワートイレ。
だけど、海外にいると、これがどんなに素晴らしい特別な事か、という事に気づいたんです。
シャワートイレの取り付けが終わると、疲れてしまい、ながらも、IKEAのステップスツールを買ったので、組み立てないとなぁ。と。
IKEAのステップスツール、結構大きくて、邪魔なんだけど、夏にベランダに簾をかけようと思っていて、このくらいの高さのしっかりした足台が必要だったの。
マジで疲れたわ。
と思いながら、ふと。
このスツール、ピアノの椅子にできないからしら?(結果ちょっと高過ぎた)
5年ぶりに、電子ピアノに電源を入れました。
この電子ピアノ、私が30歳の時にバイト先のお客様に買ってもらったの。小倉→池袋→埼玉→小倉→小倉→千葉を移動。重いし、邪魔だから、何度捨てようかと思いながらも、やっぱり捨てずに今に至っています。
父はピアノの先生でしたが、親の言う事を全く聞かなかった私は、殆ど全くピアノをやりませんでした。
自分の意志でピアノを習ったのは、22歳くらいの時。歌を勉強するのにやっぱり必要だなと思ったから。意志の弱い、飽きっぽい私はあまり上達しませんでした。9thコードまでは何とかわかったんだけど、11thと13th(←ジャズピアノ)で完全に挫折。それでも、結構遊べるというか、歌を勉強したり、楽譜やコードを確認したり、超適当な弾き語り位は出来るようになりました。
5年ぶりにピアノに電源を入れても、何十年ぶりにピアノに手を置いても、7thコードまでは自然に手が動きます。
中途半端でもいいから、なんでもやっておくと、身につくな。←1~2年はかなり練習したよ。
ピアノちょっと弾けると楽しいな。と。
「楽しいな」と。
ピアノを習っていた時、楽しいとか思わなかった。きつかったぁ。
やらなきゃ。と。
歌もそう。
好きなんだけど、「楽しい事」とは思ってなかった。
多分、「楽しむ」というのが出来なかったんだとおもう。
で、実際、別に楽しくもなく、結構苦しかった。
自分が生きている意味が欲しかったし、歌をやっているという事が一つのアイデンティティで、生きている意味にしていた。そうしないと、生き方がわからなかった。
だけど、ミュージシャンに支えられて、歌っているとき、歌い終わったとき、もう、やばいくらいに楽しかった。
自分用の楽譜を開いて、ピアノを弾いていると、そんな喜びやスリル、悦、を与えてくれた人たちが、思い出と一緒に一曲一曲に住んでるというか。もう亡くなった人たちの笑顔が曲と一緒に出てくるの。
嬉しくて、泣いた。
何にも、無い50歳の誕生日。
何もない、を突き詰めたら、大事なものがちゃんと顔を出してくれた。
今までの自分の人生で大事だったもの。
勘違いや、間違いだったかもしれないけど、「夢」や「希望」のようなもの。
我がままで、弱虫で、真っすぐで、ちょっとお馬鹿で、無邪気だったからそんなことが出来たんだとも思う。
20代で見える景色と、今の景色は全く違う。
50年も生きてきたんだね。
父が与えてくれた、「音楽」に、感謝した。
音楽に憧れてなかったら、ニューヨークにも、キューバにも行ってないかもしれない。
正直なところ、体もなんかイマイチだし(体が楽器)、人前で歌う事は元々あまり好きじゃないし、ミュージシャン付き合いやそういう社交もあまり好きじゃないので、今後歌うとかはわからない。
今は、家の中をいかに効率的に、キレイにするか。と、読書。と、アロマの事。それで手一杯。
自分が生まれてきたことは、間違いじゃなかったというか、自己否定感が薄れた時に、私にとっての歌う必要性があまりなくなった。また歌えるかもしれないけど、もう歌わないかもしれない。全く分からない。
でも、私の今までの人生は、確実に、音楽の歓びが私を救ってくれて、支えてくれて、希望や夢を与えてくれた。
周りに期待したり、周りと比べたり、自分にない物を数えるときりがない。でも、
何にもない。
そうすると、自分の中にあるものしか出てこない。
自分の中にあるものがちゃんとある。
50年生きたんだもんね。
あるものに感謝して、無いものを嘆かない。←これ、最近のテーマです。
こんな、誕生日を過ごせるのも、何もないから。
人生はトレードオフ。
むやみに欲張らない。
欲張るのなら、ほかの物は手放して、ひとつに集中して欲張る。
私は、ジャズで欲張った。
これからも、ひとつずつ、欲張りたい。
番外編☆彡
そういえば、46歳くらいだったかな。
クインシージョーンズに会えて、写真撮れた時に、音楽への「憧れ」を制覇した、達成しきった感があった。
子供の頃からの最高峰、憧れの上の憧れ「雲の上よりもっと遠い」音楽家。
会えて写真撮れただけだけどね。彼が現実に私の前に物体として存在したことがすごいのよ。憧れって。
で、解ったことは、クインシーは松田聖子が好きだという事でした。
小5の時の戦闘曲(通学の時に毎朝聴かされてた)、愛のコリーダ
16歳の頃に聴きまくったヘレンメリル(クイシンシーがアレンジ担当)
これも、高校生のお小遣い貯めて買った(クイシンシーがアレンジ)
私の、「憧れ」に突っ走るパワーは凄かったと思う。し、結構要領がよくて、抜け目ないんだよ。