私は、頑張る、という言葉が嫌いだった。

人は簡単に「頑張ってくださいね」「頑張りなさい」「頑張りましょう」とか言う。

そんな中で、頑張ってみても、結局空回りをしたり。「頑張る」という意味が全く解らなかった。

私には、「頑張る」という言葉に、私なりの定義があるの。

私にとっての頑張るは「自分にはそれが出来ると信じる力。その力を強く信じて頑を張る。自分を張る。己を張る。」

私が人に「がんばって」というのは、「その力を信じて、貫いて下さい」

時には、「あなたの中にはその力があると信じてる」という強い思いが「がんばって」という意味。

自分の中に自分がいなくて、外に軸がある人は、頑張りは、おかしなことになる。

私たち世代の日本女性は、「外に軸がある」人が圧倒的に多い。

 

そこで、スピや自己啓発で「頑張りましたね。もう、頑張らなくていいんです」みたいな、子供をあやすような、幼稚な事を言うようになったんじゃないかと。

そもそも、スピや自己啓発にはまる人は、アダルトチルドレン系が多い。「頑張りましたね。もう、頑張らなくていいんです」は、幼少時から15歳位までの期間に積み重ねる、親と子の間においての承認欲求が満たされなかったから起きてしまう「頑張ったのに、認められなかった」という体験が関係している気もする。その承認欲求が満たされていないがゆえに起きてしまった事や、それが何だったのかなどを、しっかり分析理解が出来ないまま30歳、40歳になってしまった時に、「頑張りましたね。もう、頑張らなくていいんです」という言葉は彼女たちの救いになるのかもしれない。

どうして、こんなテーマを今更書いているかというと、先日、会員用のサイトにあった書き込みにレスをしながら、この人自分の軸がグラグラだよな、グルグルやってるよな、困ったなぁ、今の私の立場と彼女の思考のパターンから、どう答えたらいいんだろうな・・・。と考えながら、彼女は「自分で「自分」を感じて生きて行きたい。」と、文面のエネルギーからは自分で頑張ろうとしている感じがあるので、「がんばってくださいね」と、レスを閉めた。

でも、彼女、軸ないし、またグラグラ、グルグルやるんだろうな。「がんばってくださいね」の私の言葉の定義が解ってないかもだ。もう既にスピとか自己啓発にかなりはまった過去があるから、「頑張りましたね。もう、頑張らなくていいんです」という言葉をどこかで読んで、「そうだったんだ」と信じてしまっている可能性もある。そうだとしたら、私が書いた「がんばってくださいね」は、彼女をまたグルグル、グラグラ、させるかもしれない。もしかしたら、私の言葉で「そっか、がんばろう」と思ってしまうかもしれない。でも、自分を信じる軸がかなり弱いので、精神的に無理が来るかもな。

と、考えながら、頭で、グルグルしてしまい、また、夜中に飛び起きて、こうやって書いてる。

私に出来る事は、12週間のコースをやってもらうしかない。

でも、本人がやりたいと、自分から言って来ない限り、よほどのことがない限りは、受けた方が良いとか、受けてください、とか、私は口にしない。自分で考えて選択をして、選択に責任が持てるような人じゃないと、ワークは上手くはいかない。私が勧めると、「勧められたから」「勧めてもらった」などとなるので、それではダメなんだよ。

それと、もしも、万が一、彼女が12週を申し込んでも、今までの彼女のコメントを見ながら、12週間では難しいと思う。16週コースになると思う。

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夜中に目が覚めて、布団の中で考えてた。ふと、私が29歳の頃を思い出した。アメリカ全土の老人ホームに第二次世界大戦時代の歌を贈る。その時代を生きたミュージシャンと作った音を。

1996年から、そんな事がしたいと、夢を語ってた。ほとんどの人が「良い事だね」「がんばってね」と、私の夢物語を笑顔で適当に流した。夢物語を追って、私はある日本人に騙されて、お金も住む所もなくした。友達の家を転々と居候をした。ニューヨークで暮らしている子たちの暮らしは決して楽じゃないけど、そうするしかなかった。夜中の2時ごろアルバイトが終わって帰ってくると、友達のアパートの前には明け方に収集されるゴミが積まれていた。それをみて、「あたしは、このごみと一緒だ」と、惨めな思いだった。

1998年。アメリカの景気は上向きになり始めていて、家賃は軒並みに上がっていた。もう、自分でアパートを借りるのは無理だと判断した。日本に帰る事を決めた。数か月で貯めたお金が1500ドルあった。そのお金を全てレコーディングに充てて、5曲ほどを録音し、日本に帰る事にした。前年の5曲と合わせると、1枚のアルバムに出来る。日本で働いて、何とかお金を作ろう。

日本に帰った翌日からすぐ、珍竹林のママの店で働かせてもらった。タクシー代を節約するために自転車を買って、坂道も結構ある7キロほどの道のりを自転車で通った。当時、小倉にそんなホステスはいなかったから笑われてた。お店から「高級な店のホステスがそんな恰好で通勤するのは困る。夢を与えてるんだ」と注意もされた。それでも、自転車通勤を止めなかった。お酒を飲むので時々道中吐きながら、泣きながら。私の夢物語は小倉の人には全く遠い世界で、ましてや、私独自の価値観と経験の上からなる一般的な夢や目標じゃないので、理解者も居ない。自分が情けなかった。こんな事をして意味があるのか。

「私は這ってでもこの夢に辿り着く」と、自分に何度も言い聞かせた。でも、こんな事に意味はあるのかという疑問が頭をよぎる。「このプロジェクトは、あの時代を生きた人たちの心に何か大切な物を与える。世界中で私にしかできない素晴らしいプロジェクトなんだ」と強く思いこませて、もしこのプロジェクトが世の中で無意味な事だったとしても、すごく意味のある素晴らしい物なんだと、そう自分を騙し切ろうと決めた。

それまでの人生で、私は何一つ成し遂げたものはなかった。私が初めて成し遂げたものだった。

思い返してみると、あれほどまでに頑張ったことはないと思う。あれは、まさに「がんばり」だったと思う。弱い私は、無理やり自分に思い込ませて、「自分の中の力を信じて」やり遂げたプロジェクトだった。

その数年後、精神的に弱い私は、家族との問題もあり、バランスを崩し、崩壊。鬱時代へ突入する。

今思うのは、感情の問題を抱えていると、自分を当たり前に信じることが出来る力がないと、自己否定感がぬぐえないと、生き難さからは解放されない。自分を信じる力が弱かったり、無い人に、「自分を信じろ」と言ってもほぼ無駄だと思う。どこかでバランスを崩すと思う。

でも、今の私が、彼女に返せる言葉は「がんばってくださいね」それしか思いつかなかった。変に優しい言葉や甘い言葉をかけて、12週コースを申し込ませる道を作るのも嫌だし、解ってもらえたと安心させてしまう事も自分の性格的にやりたくない。

彼女の考える「がんばる」の定義と私の定義は違う可能性が高いんだろうな、と考えると、またグルグルしてるかもな。と、無責任だったかとも思うが、仕方がない。

スピや自己啓発の人たちのいう「頑張りましたね。もう、頑張らなくていいんです」。あれは害だ。幼稚というか。どちらも考えが甘いというか。アダルトチルドレンだから仕方がないんだけど、そこで終わりじゃないし、何も解決してないと思う。その向こうに次は青年期のステップがあって、そこを経て、大人になるんだと思う。

青年か大人になったときに、私の考える「頑張る」という意味を、身をもって、深い所で理解できるようになると思う。

私こそ、見事なアダルトチルドレンだったと思う。近年やっと成人した。多分まだ25歳位。

 

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今日の写真は、1998年。日本に引き上げる3日くらい前にスタジオに入って録音をした時のレナードガスキン。97年、98年と2回スタジオで録音をし、アルバムを通して支えてくれたベーシスト。

当時、78歳。私は29歳だけどアメリカだと16歳位に見られる事もしばしば。無邪気で幼稚だった。今思うと、この小さな子供の弱さと希望を理解したうえで支えてくれたんだと思う。レナードが私の中の力を信じてくれたから、私もあのプロジェクトで無理やりにでも自分を信じ抜くことが出来たんだと思う。私にとってはお祖父ちゃんみたいな人だった。ヤバい、思い出したらまた涙が止まらない。

最近、昔の写真オンパレードだね。