5年半前に、NYに3か月滞在してた時、ルームメイトになった日本の大学生の女の子と話していて、「ブラック(企業)」という言葉が出てきて、気になった。彼女曰く「ブラックには就職したくない」と。

その後、メディアはもちろん、人の口からも、「ブラック企業」という言葉を聞くたびに、何がブラックなのか不思議でならなかった。

数日前、昔の事をいろいろ回想しながら、「いつも指名してくれてたゴールドマンサックスの人いたなぁ」、と思って、ゴールドマンサックスってどの位給料もらうんだろー、と、採用情報とかを調べてたの。その時にこんな記事を見つけた。インターンに関する記事ね。

ゴールドマンサックスの面接で聞かれた15個の難問とインターンの実態とは。

ゴールドマンサックスって、私も金融業界そんなに詳しくないから説明できないけど、NYのバイト先で「あの人、ゴールドマンサックスじゃない!」と言われていたので、なんかすご会社なのかなぁ。位に思ってたんだけど、長期信用銀行の解体や売却はゴールドマンサックスが指揮をしていたとか。あと、リーマンショックの時もビクともしないで、反対に利益を上げてたとか。私も詳しくないんですがね。良い悪いとかは別にして、とにかく、すごい会社なんです。

その記事にあるように、

「2013年にはロンドンのバンク・オブ・アメリカでインターン生が過労で亡くなり===中略===ゴールドマンサックスでは、夜12時から朝7時までインターン生をオフィスに残らせないようにし、1日に17時間以上働かせないよう徹底しました。===中略===ゴールドマンサックスが対策を行ったとは言え、1日17時間の労働は「過酷な労働」の範囲を脱していません。もちろん、このような労働に耐えられなければ、世界有数の金融企業であるゴールドマンサックスで正規社員として働くことは難しいでしょう。 」

当然だよな。と思います。が、これ、今の日本人に言わせたら、17時間でも完全にブラックでしょう。でもマーケットは24時間休みがないんです。

金融もそうですが、商社マンたちもすごいんですよ。ニューヨークに居た頃、将来有望な商社マンとか来るんですよね。すざましいです。「ちゃんと寝てくださいよ」なんて、時々心配で言ってしまいますが、そんな事言ってられないんですよね。学生時代に体育会系の部活をやっていたという人は多いです。

今の日本人に言わせたら、超ブラックかもです。80年代後半は、「24時間働けますか。ジャパニーズビジネスマン♪」と、リゲインが歌っていました。この歌をカラオケで歌う駐在員も少なくありませんでした。あの時代の軍歌の様なものかもね。

まさに、企業戦士というか。完全ブラックです。

太平洋戦争が終わり、日本が経済成長を遂げ、経済力を付けた頃に、今度は、ビジネス戦争だったんだと思う。その時代に前線で戦った人たちが80年代、90年代初期までの日本のビジネスマンの人たちだとも思うの。

結局負けて、30年くらい日本経済は停滞。情報や経験、戦略が甘かったのかもしれない。これからさらに差がついて行くとも思う。今では、私も、「あぁ、あんな時代があったなぁ」と、昔を思う感じ。もうあんな激しい時代は日本に来ないのかも。戦える戦士たちはもうあまりいないのかもと、人の口やメディアから耳にする、ブラック企業、という言葉で感じます。

私たちの暮らしが豊かだったのは(そう感じる時代があったの)のは、日本企業の人たちが、真っ黒になって働いてきたり、戦ってきたからだと思うの。

ちなみに、「祈りましょう」とか、世界平和なんて甘いこと言っているスピの奴らは、世界がどんな仕組みで出来てるかなんて関係ないお花畑に居るので放っておいてあげてください。

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ブラック企業だというのなら、辞めればいい。何かの都合があって辞められないというか、辞めないんだと思う。

昔(今もあるのかな)、付き合い残業みたいなのが多くあった。空気的に帰れない。でも、帰ればいいんだよ。そんなの無駄。でも、ハブられたり、嫌みを言われたり。

私たちが若い頃、お昼働いて、夜も働く女の子たちが多かった。欲しい物があったり、お金が欲しいからでしょ。自らブラック。

この職場は「自分」には合わない。ブラックだ。と思ったら、辞めればいいんだよ。暮らしは不安定になるかもしれないけど、どちらを選択するか。個人の選択なんだと思う。会社や職場から暴力的に家族が脅されたり、小指切られたりするわけじゃないんだから。

個人事業主を始めて気づいたのが、今まで私を雇ってきてくれた人達の懐の深さ。

すべてのリスクは私にある。という事。

私は個人だけど、雇い主は従業員たちの生活や夢、その家族の為にすごいリスクを背負っていたことに気づいたの。私がかなりの数の職場で働いてきたのは、昨日の記事でわかったと思うけど、辞めさせてくれなかった会社やお店はひとつもない。「今やめられたら困る」と言われても、2~3か月しっかり準備をして、引継ぎがしやすくしておけばいいんだと思うの。よほどのポジションじゃない限り、その人が居なくなっても困らないと思うの。でも、かなり仕事ができる人は、ヘッドハンティング来たりする。転職を考えていたりする。

嫌なら、辞めればいいんだよ。生活が不安定になるのは自分なだけ。お陰で私はいつも、不安定です。

会社のせいにしたり、誰かが守ってくれたり、保護してくれるのが当然だと思ったり、会社が、社会が、親が。そんな事を言っているから、日本は次の戦いに完全に出遅れたんだと思う。

そういうことを言ってる奴らが、甘い言葉に踊らされて、スピや自己啓発にはまっていく。そういうマーケットが拡がったんだとおもうの。膨張したよ。メンタル的な弱者や頭の悪い人たちはハマりやすい。で、スピや自己啓発にお金をいっぱい払うから、彼らの私腹を肥やさせ、豊かさを見せびらかせる。それにまた踊らされる。自分もそうなりたい、そうなれると思い込む。あほ。踊るより戦え。

でも、彼らの教えでは戦う事は悪。

ドリーンバーチューのサイトのプラクティショナーのリスト見た時。自分を天使だとか、女神だとか、ライトワーカーだとか、天使のはねつけて写真撮ってる人も居た。彼女たちはそれで楽しそうだけど、ほんと、気の毒だし、あれはもう付ける薬ないなと思う。

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私は社会のすき間で、適当に生きてるから偉そうなことは全く言えない。でも、あの時代に粉にして戦ってきてくれた人たちにはとても感謝してる。その戦略が失敗に終わってしまったとしても。彼らが戦ってきてくれたから、長い歴史の中では短期戦でしかなかったかもしれないけど、その戦いに勝った時代があったから、私は色々な国に行くことが出来、色んな物を手にすることが出来、いろんな経験が出来る時代に生きてくることが出来たと実感するの。

外国で暮らすと、中に入っていくと、自分が日本の経済の傘の中に暮らしていて、「日本」という一つの家(国家)に暮らしていて、赤いパスポートが私がその家の人だと証明する。移民局の人はその証明書を見て、「日本人か」と笑顔で通してくれる。

私はほんとに、ニューヨークやキューバで暮らせて良かったと思う。いろんな国を旅出来てよかったと思う。

真っ黒になって働いてきた人たちに感謝する。

これからも、すき間で生きる私を許してね。えへ。

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今日の写真は何にしよう。今から探す。

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イーストビレッジの私が住んでいたアパートの屋上から眺める世界貿易センタービル。

このアパート、6階建てのエレベーターなしだったの。私の部屋は6階で、部屋の窓の外にあるファイヤーエスケープという非常階段を使って、こっそり屋上に行ってた。

自分の写真飾ってる。恥ずかしい。飾ってみたかったんだよ。

この鉄格子が開閉式でね。この左の窓から屋上に行くの。1991年。