この前、Netflixでホイットニーヒューストンのドキュメンタリーを見たの。
日本語のタイトルが「本当の自分でいさせて」。英語では「Can I be me」。

私はホイットニーヒューストンは好きで、彼女がデビューした頃、音楽ビデオを見て学校帰りにぶっ飛んでレコード店に行ってアルバムを買いました。

20代はじめの頃、地元のソウルバー(R&B等のアメリカの黒人音楽を流すバー)で働いていた頃は、曲調が黒っぽくなくて、シャバい感じがしたので、あまり聴かなくはなっていたけど、その時期以外は「やっぱりスゲーうまいなぁ♡」という感じで好きでした。

グレイテスト・ラブ・オブ・オールは歌詞が大好きで私の中の大事な哲学でもあり、生きる指針にもなってたの。オリジナルのジョージベンソンより、ホイットニーの力強い芯のあるこの歌が大好きだった。

挫けそうなとき、「自分」が潰れそうなとき、この歌を自分の心に言い聞かせてた。

 

「彼らが私から何を奪ったとしても、私のDignityは奪えない」

Dignityって尊厳とか、威厳とか。プライドとは違う、もっともっと大切なもの。

「あなた自身をを愛する事を学ぶこと。それが全ての愛の中で最も偉大な愛なの」

1年ちょっと前に、ふと、ホイットニーヒューストンの事を調べていると、比較的普段の彼女の生活を垣間見れるような感じの動画がありました。

彼女の喋り方、態度、風貌。育ちの悪い、品のない黒人女性、という感じでした。

いつもキレイで輝いていたホイットニーは作られたもので、素のホイットニーは育ちの悪そうな、品のない黒人女性・・・。ドラックの過剰摂取で亡くなり、娘もドラッグで亡くなった。

あの強くて、美しい歌声は何だったんだろうか。

夢の世界から醒めたというか。

 

「育ちの悪い、品のない黒人女性」という表現は語弊があるとも思うけど、あえてそう書きました。

品のある黒人女性もいるし、育ちの良さを感じさせる人もいると思う。実際に育ちのいい人もいる。でも、黒人や貧困層にありがちな品のなさの様なものってあって、ニューヨークでも、キューバでもそういうものを感じる時があった。キューバでは何人かのそういう女性に騙されたり、利用されたりもした。

彼女たちは表面的には立派な事を言うし、自分をよく見せようとか、見下されないようにとかなのか、そういう私には理解しにくい何かがあるの。それは、貧しさや、人種的な差別や、抑圧などもあってか、身に着いた、身に付けてしまった一つの生きる術なのかもしれないけど、そういう人たちの薄っぺらな口先と態度に気付いた時に、かなり理解に苦しんだ。そういう経験に何度か遭い、痛い目に遭って、私にはある種の軽いトラウマの様なものがあるのだと思う。

そういう経験とトラウマの様なものがあるからか、ホイットニーの品のない態度や話し方を見て、ぞっとしたの。大好きだったのに、ショックだった。

今回見たドキュメンタリーは、彼女のバックグランドなどもある程度解り、私の中のショックが整理された感じがした。

彼女は、貧困層の育ちで、ティーンエイジャーの頃からドラッグをしていた。大人になってもドラッグはずっとしていたみたい。

デビューをするときに、レコード会社は彼女(のビジネス)を成功させるために、白人層もターゲットにする為に過去を全て封印してイメージ作りをしたらしい。

動画の中で、「私は歌い続けるの。私が歌う事で生活をしている人たちがいるから」という感じの事を言っていて、「商品」として生きて行くための当たり前にあるシステムなのだと思う。そうやって、大勢の人たちが彼女を「素晴らしい商品」にする事で彼女の表面はより輝く。

世の中で言われる「成功」を収め、「成功」を身にまとう。

でも、本当の自分はどんどん遠ざかる。

あんなに素敵(に見える)彼女が、どうしてあんな下品なホビーブラウンと一緒になったのか。ドキュメンタリーでは、ボビーと居ると素のままの彼女、貧困層で育った彼女のままでいる事が出来る、ボビーの事を本当に愛していたと言っていた。

ホイットニーの動画を色々見ていると、特に白人のインタビュアーの時には見事に美しく、誠実そうに、「ホイットニーヒューストン」という「仕事」をしている。決して黒人の貧困層ならではの言動はしない。

近年、つくづく思う事がある。
「有名人じゃなくてよかった」と。
知らない人が私の事をとやかく言わない。
ボロくさい格好で買い物に行っても、誰も気にもかけない。
誰も、「私」を使って、金儲けをしたり、暮らしを立てていない。等々

無名で、ただの一般人というのは、なんと気楽なことだろう。
有名人は大変だ。

Rich & Famous

「富と名声」というのかな。
アメリカではこれを成功というようだ。

だけど、それは表層だけの幸せの「型」なんじゃないかと。

いいえ。もしも、自分が蔑まれてきたり、踏みつけられてきたり、貧しくて悔しい思いをして来たのだったら、Rich & Famousはその人にとって足りないと思っていたものを埋めてくれる。世の中の人たちに自分を認めさせて、抱えて来た欠乏感や、苦しみを塗り替えてくれるのかもしれない。

人は「欲しい」と思うものや「憧れ」は、実際に手にしないと、経験しないと、それがその人に本当に必要かどうかはなかなか解らない。

もし、「欲しい」と信じていたものや、「憧れ」に手が届き、手にしてみたら、それは自分にとってそれほど大切なものではなかった、その場所は自分には居心地が悪かった、思っていた以上に大変で面倒なことが多かった、等々。

経験しないと解りえない。

 

私はアッパークラスの人たちの中に居たいと思わない。育ちが違い過ぎると、私にとって居心地が良くない。反対に、貧し(すぎる)くて、家庭の教育(躾)があまりにも無い人たちの中もきつい。私には、私にとって居心地の悪くないクラス、自分を偽らず、背伸びする必要も、蔑む必要もなく、無理をしなくていい「層」のようなもがあるのだと思う。身の丈というのかな。

今回、彼女のドキュメンタリーを見て、もしかして「本当の自分でいられる事」程の幸せはないのではないのかもと。

誰かに愛される為、誰かに認められるため、誰かの為に本当の自分を殺したり、箱に閉じ込めたり、よく見せようと本当の自分を偽るのではなく、そのままの、偽りのない、本当の自分で生きられることは、それは、ひとつの究極の幸せなんじゃないかと。

「解りました」ではなく、「そうかもしれない」、と「考えました」。

ただ、ここでも、感情の問題があれば、不平不満や、沢山の欲求があれば、まずはそれを何とか整理しないと、本当の自分に自分がアクセスできないのだと思う。

感情の部分をちゃんと整理できてないと、自分勝手で、わがままな、迷惑な人に成ると思うので、安直に受け入れないでね。

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今日の写真は
また、私ったら、日々の引きこもり暮らしの中で変な事が気になって仕方が無くなりだして、中古の家庭用エスプレッソマシーンを買ってしまったんです。4500円なり。

コーヒーは私の日々の大事なエッセンス。私は甘みのあるまろい、苦過ぎず、酸味のないコーヒーが好きで、毎日3回くらいカフェラテを飲みます。誰もが「美味い」というコーヒーではなく、「私好み」のコーヒーが好きです。

今回色々調べてみると、私好みのコーヒーの濃さと、私好みのミルクの配合は、カプチーノでもなく、カフェラテでもなく、カフェマキアートでもないようです。
邪道であれ、なんであれ、「私好み」に勝るものはありません。

コーヒーは、上手に淹れられると、砂糖を入れたらチョコレートのような味がするの。まだこのエスプレッソシンでは「私好み」のコーヒーを淹れられません。日々精進です。

せっかく買ったのに、結局直火式に戻っちゃうかもしれませんが、We will seeです。
とにかく、気になりだしたら、我慢が難しいんです。