お茶会で、「やっぱり、惹かれる国って、前世が関係するんですかね」という会話がありました。

多分「前世でそこに生まれた」とか「居た」という意味だと思うけど、どうなんだろうね。

私もまたちょっくらスペインに行ってみる事にしたので、改めて考えてみました。

私が今まで行った国は、

  1. アメリカ合衆国
  2. プエルトリコ
  3. インド
  4. イタリア
  5. バチカン市国
  6. タイ
  7. マレーシア
  8. シンガポール
  9. インドネシア
  10. 中国
  11. メキシコ
  12. キューバ
  13. グアテマラ
  14. パラグアイ
  15. ブラジル
  16. アルゼンチン
  17. ポルトガル(予定)
  18. スペイン(予定)

ブラジルとアルゼンチンはイグアスの滝を見に行っただけ。アルゼンチンのお肉は美味しかった♡

中国はニューヨークに行くトランジットで上海に5~6回滞在しました。

過去生で居ただろうなと強く感じる国を赤の太字にしてみました。

アメリカ合衆国、ひとつ前の前世がそうだと、とても強く思う。あと、ネイティブアメリカンだった時代もあると思う。私がタバコが好きなのと、銘柄も長年「アメリカンスピリット」というネイティブアメリカンの絵のパッケージ。それと、ユタのソルトレイクシティからモニュメントバレーを一人で旅した時に、沢山の気づきがあったの。

インドは、歴史も長いし、国土も大きい。行くきっかけも不思議な流れだったし、結構長い旅で2回行っている。私ったら、気付いたらインド料理を食べてるし・・・。前の夫とはほぼ確実に「インド縁」だと思うな。

キューバは1492年にコロンバスによって「発見」された。とある。原住民は殆ど殺されてるし、あの土地で自分が原住民だったと思えるような「思い」は無かった。サンテリアにはすごく違和感もあるし、嫌悪感もあったので、居たかもしれないけど、居たとしたらスペインルーツの側かも。いや、解らない。結局何故だかサンテリアに関わる事にもなったし、私案外リズムをすっと体に入れちゃうのか黒人やムラート(黒人の混血)の人たちが時々嬉しそうに私と踊る・・・。それと、ニューヨークでの恩人のミュージシャンたちは黒人ばかり。と、考えると、私も奴隷としてアフリカから連れてこられた、もしくはその子孫だった前世がある可能性は高いかもだね。

イタリアは、すごく惹かれていた国だね。小学4年生の頃にはパスタに興味を持ち、子供の頃に声楽の先生にはイタリア歌曲ばかり歌わされてた。今も気づけばパスタばかり食べてる。最近のコーヒーへの傾倒も笑えるw。イタリアは今生のうちにもう一度行きたいな。食べたいな。

惹かれる国が「前世に関係あるのか」は、解らない。

というのも、キューバ人を見ているとアメリカ合衆国にかなり惹かれている人が多い。だから「次は絶対にアメリカ人に生まれたい」とかなり思っている人は少なくないかも。そういう場合はアメリカ合衆国に生まれる事が出来るんじゃないかと思うの。そういう意味では前世に関係はあるのかも。でも、歴史が短いアメリカ合衆国の前世があるとは限らないと思う。

一つの魂は、どの位転生を繰り返すのだろう。何十回なのか、何百回なのか、解らない。

江原さんの動画によれば、魂は、鉱物→植物→動物→人間、という順番で転生をし、逆戻りをしないらしい。人間になってからの転生の回数はそれぞれらしいが、10~20回で転生が終わり、という事は無いと思う。

スピリチュアルで時々耳にする「古い魂」。これは人間としての転生の回数が多い、歴史のある魂。スピ系ヒーラーやリーダー気取りの人が「自分の魂は古い魂で」などとちょっと上からっぽく言う人が居るが、そういう事を人さまにわざわざ言っている人は、たいして古い魂じゃないのかも。

あと、ユダヤ的な思考とかセンスがすごく好きで、私ユダヤ人だったことは確実にあるなと思ってた。

アフリカ、中東、北欧、東欧はまだ行っていません。そういう国々でも私は生きていたと思うの。だけど、いまだに行っていないという事は、今生ではそれほど気にしなくていいのかも、とか。

どの前世がどうとか、きりがない。たまたまどこかのヒーラーに言われた「あなたの前世」に執着するのは馬鹿らしいとは思う。それはほんの一片でしかなく、人間の一生に例えると、15歳の時にあったなにか、という感じで、大事な事は、今と、どう生きるかでしかないと思うの。

今生をどう生きるか、どういう想い残しがあるのか。ヒントはあるかもしれないけど、答えじゃないと思う。

 

一つの時代に執着してもしょうがない。

ある時代に強く想いを残すと、その想いが成仏というか、納得できるまで、執着してしまうのだと思う。だから、そういう人は、その時代の想いをとことん追求して、納得して、執着を手放せるように生きれればいいとも思う。私の15歳から45歳位まではそんな事やっていた。

でも、どうしてそんなことをやっていた、やり続けていたかと考えると、今生が結構しんどくて生まれて来た意味を前世に見つけようとこじつけていた部分もあると思う。納得がいくまで邁進すると、それはそれで、色々な「経験」をする事が出来る。だから、無駄ではない。

でも、生き辛さの問題の答えは前世にはなくて、今の「今生の中の過去」にある。だから、あの30年間は今生から逃げて、生まれて来た意味や理由をこじつけて、それにしがみついて生きていたかも、と、今は思う。だけど、あの30年が無いと今の私はない。そこで得た経験や悩んだり苦しんだりした事、特に音楽やミュージシャンとの関りで得た感動と経験は確実に私の魂に刻まれていると思う。

「経験」をする事で、私たちは、少しずつ、少しずつ、一歩一歩、ちびっとずつ、魂を磨くのかもしれない。

過去生に縛られたり、執着したり、逃げ場にしてもいいと思う。けど、やるなら徹底的にやれ。

徹底的にやったら、前世にヒントはあるかだけど、答えは無くて、結局今生と向き合うしかないと気づけるかもしれない。

ヒントはあるとはいえ、多くあるであろう前世のどの生のどの部分にフォーカスをするのか。多分そこでも色々迷うと思う。どう生きるのか、結局「今生」にしか答えは無いと思う。

 

スピ系には、「私、前世で〇〇だったから・・・」と、言い訳のように言う人も結構いる。

だったら、それを言い訳にしておくのではなく、とことん、それに邁進して、気が済むまでやればいい。そうしたら、いつか今生の自分の人生と向かい合おうと思うかもしれない。そのまま邁進して、おかしな方向に行ったっきりになる人もいるかもだけど、それも、その人の魂の「経験」なんだと思う。

 

自分が行った国をリストアップしてみて思ったのは、もし、自分が行った国が過去世で縁のあった国だとしても、私の転生の数はそんなもんじゃない気がするし、もしかしたら、「旅」の様に、魂の輪廻も記憶に強く残る国(生)とそうでもない国(生)があるんじゃないかなぁと。

きつかった旅、大変で必死だった旅ほど、自分に「経験」を与えてくれて、何年もたった時に「いい旅」だったと思えるの。

人生もそんなものかもしれない。

 

今の時代に日本に生まれた。という事は、とてもとてもラッキーな事で、経済的にもだけど、国の立場としても日本人は多くの国を比較的簡単に訪れる事が出来る。あまりにも気になるなら「行く」事が出来る。

50年前、それ以上前は、外国に行ける人は限られてた。貨幣価値の事もあるけど、パスポートすら取ることが難しかったんじゃないかな。何かの動画でそういうのを見た。「キューバと変わらないな」と思いました。私たちは、自分の選択で色々な事を経験できる場所と時代に生まれたのだと思います。

もし、前世にどこかの国に居たような気がして、気になって気になって仕方がないのだったら、とことん突き詰めて、行ってけりをつける、というのは大いにありだと思う。けりをつけられたら、気が済んだら、今生の生きる意味や、言い訳や、逃げ道にするのではなく、今生と向かい合えると思うよ。

 

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今日の写真は、2001年に行ったイタリア。

上のは「サンタルチア」にて。

これは、船に乗ってナポリからシシリアのパレルモへ「さらばナポリ」

これは、「帰れソレントへ」のソレント。

そういえば、「フニクリフニクラ」。勇敢に火山を登る歌だと思っていたら、「フニクラーレ」というのは登山列車の事で、イメージが違ってショックを受けました。

観光地や遺跡は行ってもあまり印象に残らないのですが、ポンペイは2000年近く前に、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋まってしまった街で、ここは行って良かったと思うとても印象に残った所でした。

そういえば、このユニクロバッグ、つい数年前まで使ってた。

ポンペイ