7年くらい前(私45歳)。ニューヨークの物価が高くなっているのに驚いたのですが、それで、日本の物価が25年間上昇していない。と、いう現実に気づいたのね。
20歳でNYに行って、20代の殆どをNYで過ごしたでしょ。あの頃から比べて、家賃は4~7倍。外食は2~3倍にはなったと言う感じでした。
日本はすごくやばい事になっている、と、気づき始めました。
あれから、7年くらいたって、もう、ほんと、まじ、取り返しつかないところにすっかり来てしまったんだと、最近またつくづく思ったりしています。
日本に何があったのでしょう。
というか、どうしてあの頃(30年くらい前)は日本の経済や企業が世界で上位にあれたのか。いろーーーーんな理由や要因があると思うのですが、あそこで昇りつめて、その後、経済大国とか、成功した国と思ってしまって、意識、技術、教育、などなど、いろんなものが時代遅れのままとまってしまって、しまっていたのだと思います。
先日、Chromebookを買いました。(明日届く予定)
これね。
IdeaPad Duet Chromebook
9900円オフクーポン使って、3万円を切る価格です。
Googleの端末が、いよいよ、使いやすい段階にきたんじゃないかと。いう気がして、買ってみる事にしました。
というのも、福岡県久留米市が小学生一人一台、Chromebookをあてがって、学習をするというのをニュースで見たの。
WindowsやAppleが入ってこれなかった所に入ってきたというか。Chromebookは安いんですよ。で、Googleがしっかりサポートするらしい。Googleもこの分野にかなり力を入れてるんだよね。
で、やっと、Googleドキュメントとかを当たり前に使って学習をしていく事が進むんじゃないかと。
NYの私立小学校に通っていた友人の子供は、7年前(私がNYに行っていたころ)にはMacブック持って学校行って、宿題などもすべてGoogleのドキュメント等々で行うと聞き、Googleのそういったツールを学校で当たり前に使っているというのを知りました。アメリカの公立の小学校がどうか知りませんが、私立の小学校ではそうでした。そういうツールを使う事が「当たり前」な前提の社会が確実にあるし、今後より確実にあるのだと感じ、すごく遅れていくのだという気がしました。
Googleのツールを当たり前に使う社会が作られるという事は、色んなデータを持っていかれるかもしれませんが、これに代わるようなツールを日本は全く作れてないので、Googleを使わざるを得ない。のだとも思います。情報やデータがとても大事な時代。これらが蓄積されることはその企業にとっての財産、知財になるのだと思うの。
Google
Apple
Facebook
Amazon
もう、太刀打ちできないと思います。
日本国内の広告だとしても、インターネットの中ではGoogleやFacebookが握っています。
で、私たちの暮らしはもう、Googleなしでは難しい。
最近、Youtubeで色々な人たちの動画を見ていた(聞き流し)のね。
このシリーズが結構おもしろくて見てた。
もう、多分、追いつけないところに来ていて。「幸せ」になる、感じられる未来を創るには、方向や目的、求めるものを変える。「価値観」を変えていかないと、いけない段階にきてしまったんだと、改めて感じました。
というか、私は、いいんです。価値観、一般的じゃないので。観点も変わってるし、人が言ってること聞かないし、自分の頭で考えた事しか受け入れないし。
でもね、日本の一般的な価値観、観点。人がいう事をちゃんと聞く。自分の頭で考えるより、上の人のいう事を聞く。覚える事が大事。と言う感じで、生きてこれた人が日本は多いし、まだまだそういう人たちは多いと思うの。「主体性をもって」とか、「多様性」とか言ってもそういうふうに育てることは難しいと思う。対個人で向き合えるはずの「親」もそういう人は多くないと思うし、対個人でしっかり向き合う余裕がないような立場の大人にもすごく難しい事だと思う。社会や環境のシステムがそうやってできてないし、そういう人たちを過去に排除してきたのだとも思うの。
近年では、ADHDとか、何とか障害とか、色々、ちょこちょこ、一見普通な人たちの「障害」が分類分けされるようになったでしょ。わたし、これって、特質や特性の場合も多いんじゃないかと。あと、精神的とか感情的に、後天的に抱えた問題からその特質や特性が強くなってしまう人も少なくない気がするのね。
そういう何とか障害を自称している人で、すごく頭がいいとか、ひとつの事にたけてるとか、すごい探求心があるとか、って人、結構いる気がするんです。で、実は、今の時代というか、この20年、日本がこんなことになってしまう前に、こういう人たちの特性や才能がとても必要だったのだとも思う。だけど、そういった特性や特質を理解したり、育てたり、伸ばしたりする環境、学校、会社、家族とか、そういう社会がまったく準備で来てなかった。そういう人たちをどう扱ったらいいか、経験がなかったというか。
感情解放の事で、ひとりひとりと、無茶苦茶深く、真剣に向き合うと、だれひとり、一般的じゃないし、自分の感情や感性があるし、人がいう事に心で反発していたりする。そういう声にならない抑え込んだ感情を掘り起こしていく。ひとつひとつ向き合いながら、お互いに理解しながら進めていくんだけど、本当のその人が顔を出してくれるのには、すごく時間と忍耐が要る。すぐ誤魔化そうとするというか、そういう癖がついている人は少なくない。自己防衛でもあるし、そうやって「自分」を抑えることがいい事とされた社会の価値観もあったし、悪い事じゃないとは思う。でも、掘り起こすのはとっても大変な作業なの。
感情解放のコースで、「こんなに真剣に向き合ってくれた人はいなかった」という事を時々言われます。
私は、掘り起こすために、真剣にやるけど、結局は本人が覚悟を決めて真剣に向き合うようにサポートをするのが私の役目。そのために一緒に向き合う。
その先には、それぞれが個性的で、「一般的」とかはほぼない。
「本質的」という言葉もよく耳にするけど、その人の本質的な部分。そこに、本人が気づいてない事もとても多い。
「本当に好きな事」「本当にやりたい事」「その人にとって本当に大事な事」それは、その人の本質的な部分と本人が重なり合っていないと、気づけないのだと感じる。
今更、個性とか、主体性とか、言われても、それが大事だと言われてるからそう思って、言ってるだけで、それを育てたり、尊重したり出来ないとか、やり方が解らない人や社会がある気がする。
もう結構歳なので、周りや社会が、どう言おうが、どう考えようが、私は私で、私の価値観を護り、愛し、こぢんまり暮らせればいいとか、思ってる。
若い人で、そういう鬱蒼感が残る日本が嫌なら、日本の外に出ればいい。で、この国が大好きだったら、この国のすばらしさに気づけたら、日本の特異性に気づけたら、いろんな事を経験して帰ってくればいい。帰ってきてほしい。
一応、地球。酸素とかインターネットがある地球の上で、行くことが出来る、暮らすことが出来る国、面積は日本より、かなり大きい。日本は鼻の穴位の小さな面積の国。で、日本のような国はどこにもない気がする。宗教的に、思想的に、かなり特異な個性的な国だと思う。
40歳を過ぎたら、家族が出来てたら、この国から出ていく事もちょっと難しくなる。だからこそ、広い視野を持って、もしくは知らない事を恥ずかしがらず、子供の世界や価値観を狭めない親でいてほしい、なってほしい、と、心から思う。
日本は、もう、経済的に大きく成長することは極めて難しいと思う。
だから、新しい価値観を持って、新しい時代とか、未来とかに生きて行かないといけない段階に来てるんだと思う。
それを持つことが出来る個人が、幸せや充実感を感じることが出来る人生を歩めるんじゃないかと、思ったりする。
そういう個人が増えていったときに、集団の価値観が変わる。
で、その頃には、先にそういう価値観を持つことが出来た人たちは、またもう一歩先の、新しい、まだ多くの人に受け入れない価値観を持って、孤立したりするのだと思う。
モノや経済といったものより、いかに生きるか、どう生きるか、どう考えるか。そういった、哲学のようなものがとても価値がある、生きる価値や心の豊かさにつながる気がします。
そこで、一番大事な事は、自分の中に自分を持つ。軸を持つという事だと、思います。
========
今日の写真は、午後のコーヒータイムです。