パンやお菓子を焼き。玄米を一晩漬けて炊く。
珈琲は自分で焙煎。
石鹸は二か月かけて作る。(2か月くらい寝かした方がマイルド)

ほかにもいろいろ。

時々、まじで、「くそ面倒」と感じる。
それでも、止められない。

お年のせいか、目が疲れて文字を読みたくないときは、Youtubeで音だけ聞いてたりする。山口周さんという人が、「意味のイノベーション」というのを言っていた。消費ではなく、合理性や便利さで得られないものへ価値観がシフトしているとか。最近、キャンプが流行っているらしい。自分で火を熾したりするらしい。ヒロシの影響もあるのかもだけど。あと、家に薪ストーブを入れようとする人が増えてるとか。わざわざ不便なものを求めるとか。

ちなみに、彼いわく、GDPを上げるには、戦争や自然災害といった破壊が起きれば必然的にGDPが上がるとか。
「消費」というのは静かにゆっくりとした「破壊」活動らしいです。

そういった「疑問」はニューヨークとキューバ行ったりしてた頃にすごくあって、資本主義とか、物質や所有の欲求とかを経済の後ろには、戦争とかいろんな思惑があったりとか。悶々と考えてた時期があったりした。

私なりの結論としては、いろんな満たされない欲求を刺激したり、煽る事で、消費や経済が、けっこう、かなり動くもんなんだと。で、持たない(持てない)人たちが、清貧とか、そういうのじゃなく、持ってみるという「経験」をしてないと、そこは満たされないで、歪んでしまう。

私たちは、持ってみたけど、それが自分にとって必要だったか?無駄だったか。というのを、そろそろ、結構「経験した」人たちなんですよ。

私も、不便なもの結構求めてるんですよね。

もちろん、自動車も持ってないのですが、要らないなぁと思うんですよ。若い頃は当たり前に持ってた。でも、持ってる(所有)とかえって身動きできないし、維持費もかかる。手間もかかる。数か月に一度必要な時はレンタカーでいい。で、52歳の今は、本当に自動車要らないんですよ。母が若い頃からずっと車の人だったんだけど、足腰弱るの早かったんですよ。前の旦那の義母さんが、私の母と同じ歳で自転車乗ってたんだけど、足腰元気なのよ。それもあって、自転車愛用してるんです。維持費かからないしね。

今、エレベーターなしの5階に住んでるでしょ。
引越し大変だけど、足腰が元気なうちはすごくいいと思ってるの。

パンとお菓子自分で焼いたり、ハムとか石鹸とか作ったり。コーヒー焙煎は面倒だと思うんだ。ほんと、くそ面倒なこと多いなぁ。だけど、安くて、保存がきいて、便利な食べ物には、それなりの理由がある事が解ったし、私の体もそういうのを食べると処理しきれなくなってるっぽい。

時々思うんだ。
「便利さ」って何だったんだろうと。

「消費」「経済」。自動車も、エレベーターも、便利な加工食品も静かな破壊活動・・・。企業や経済が悪いとかじゃなく、人がそれを求めるんだよね。そういうものが売れるから、作るし、市場に出る。で、経済が回る。だから、悪い事ではないとは思う。自分が選べばいいだけ。「選べる」「選択肢がある」というのは、「豊かさ」の一つだと思うんだ。

気づけば、不便というか、自分で「手間」をかけなきゃいけないものを「選んで」購入している。
そういうものを、わざわざ求めて購入している。

そういうものに、豊かさを感じる。だから「くそ面倒」と感じても、止められないのだと思う。

そういう価値観に、世の中も動いてきているらしい。

==========

今日の写真は、ベランダです。

右から、ルッコラ、ベビーリーフ、上の段が大葉の種植えたのと、この前スーパーで買ったねぎね。左上がトマト干してみてる。
まぁまぁ面倒ですが、こういうのまぁまぁ楽しいんですよ。